赤塚不二夫氏の死去、1961年

今日、明日と研究室の仕事の進捗の報告会です。京都ラボの人数は減りましたがそれでも一日では終わらないです。進捗、まあまあでしょう。ひと、それぞれですし、プロジェクトそれぞれでした。

漫画家の赤塚不二夫氏が亡くなりました。
1961年に連載が始まった、おそ松くんの漫画は鮮烈な印象がありました。わたくしは自分はまだ高校時代かとおもったらそうではなく20才の時、つまり大学生のときでした。よろこびかつ熱心によんだものでした。
印象はシエーの大学生が強く、大笑いしながら読んだものでした。
この年に連載していたたぶんがろですか、白戸三平の忍者武芸長これもまた熱心に読んだものでした。もろてあげで賞めたわけではありませんが。でも面白かった。

それに年譜を見るとこの年は、坂本九の上を向いて歩こうが大ヒットしたし、植木等のすーだら節も絶え間なく聞こえてきたようでした。なつかしいですね。

赤城圭一郎が日活の撮影所でゴーカートを運転中にぶつかって死亡、樺太犬シローが南極基地で置いてけぼりになったのに生きて帰ってきて日本中を感動させたものでした。またバレーの東洋の魔女が全勝街道をばく進、いっぽうでは釜か崎のどや街で3千人が暴動とか三無事件といわれた旧軍人らによる政府要職者暗殺計画とかまだまだ荒々しい社会も残っていました。

赤塚不二夫氏の漫画はなにしろけた外れにおもしろく、天才だとまだ二十歳になったばかりで幼稚なところもたくさんあった半大人、半少年のわたくしは思ったものでした。

この年にに小田実氏のなんでも見てやろうが河出書房新社から出版され、ベストセラーになりました。
それを読んだわたくしはなにがなんでも海外留学するのだと、心に決めたものでした。実際にいけたのは26才でしたから6年も経ってからですが。

流行歌では、特にガラスのジョニーのアイ・ジョージが思いだされます。

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