家に戻って、愛されない指導者

自宅にもどりました。
自宅の自分の部屋にもどって出かけたときと同じ姿の机や椅子を見てなんともいえない安堵感をもちました。元の生活にもどれる安堵感なのでしょうか。
妻からまだ比良のほうの畑からは色んな収穫があることを聞き、こちらのほうの、自分の平素の生活を確認したような気になりました。

きょうは帰国の機内でちょっと書いたものをペーストしておきます。
機内は満席でした。

戦後の大きな組織の代表者として特に親しまれたというか人柄も含めてエピソードが多いのはホンダと松下電器の創業者であった本田宗一郎氏と松下幸之助氏になるのでしょうか。このおふたりは町工場から世界に雄飛した大企業を一代で作り上げた点でも共通点があります。わたくしも本田氏のことを書いた書物を2,3冊読んでその徹底した人柄に感服したものです。本田氏がホンダの全社員に愛され尊敬されていたのにたいして、松下氏はそのカリスマ性で松下教とでもいえるような膨大な数の信者というか心服者が社員のみならず日本社会におられたことは間違いありません。
きょうはこんなことを書いたのも、いまは日本だけばかりでなく、世界中どこをみても愛される組織のトップというのが見あたらない、という感をもったからです。そういう人柄そのものがグローバル化が進んで、なくなってきたのかもしれません。
どうしてそんなことになったのか。組織のトップが人々中に分け入るというよりは、組織のなかで自分に従わせることばかりに努力をかたむけ、いいときにはいいところ取りをして、苦境にはいると、すっと逃げる、そういう人たちが大半なのではないのでしょうか。そもそもトップの収入が断トツによくなり特別な生活をするようになっているからでしょう。いわんや庶民的なトップなぞほとんど大きな組織には居なくなってしまったからかもしれません。かつて経団連の土光会長が妻とふたりと実に質素な朝食を食べている姿が暗黙にあるべき理想のトップを画像で示したことがありますが、それももう何十年前のことになりました。
いま、米国や欧州では金融の底なしの崩壊がおきて、どこの国も政府が大量のお金(つまり税金)を投入しています。1929年以来の大変な経済苦境がやってきています。米国でも最初からものすごい額の税金を政府が投入しましたので、米国民の金融、ウオール街などの経営者への反感は大変高まっています。年収何億円とか何十億円とかいう経営者がこういうときには、頭一つ下げてない、まるで不可抗力にあったかのような顔をしている、というような怒りの声が米国の庶民には渦巻いています。オバマ候補が有力になったのも、腐敗したとおもわれた経営者への怒りがあるに違いありません。庶民からかけ離れた優雅な生活をしている人たちがこういうときには何食わぬ顔をして逃げ出せるというのは、どうも世界に共通した現象になってきたようです。
日本の場合、銀行経営者が怒りの標的になったバブル崩壊の時代に、かれらの自宅の写真を見せた週刊誌がありました。意外にたいしたことない、みずほの社長さんなどは、ちょっとこれでいいの、というような質素なお宅だったという記憶があり、意外に清廉じゃないか、と知り合いの誰かにいったら、その人が、いやこういうかたたちは社長、会長、相談役というのをずっとやって、死ぬまで会社に部屋があって運転手付きの生活ができるんで、すごく優雅なものなんですよ、といわれたのを思いだします。たしかにお金に換算したら、結構な額かもしれません。自前のお金だけでやっている企業なら法に触れなければ何をしても勝手かもしれませんが、税金でどっぷり支援されとあいだは、そんなことをできなくなったかもしれません。いまは返済したので昔にもどったかもしれませんが。
米国では、税金が大量に投入された金融企業のトップはプライベート飛行機での移動をやめてどうするのでしょうか。
そういえば、愉快なことを思いだしました。米国の資本主義の頂点の一つの財団が経営するR大学の学長をしている、ノーベル賞ももらったPさんですが、英国に研究室を残していることもあり自分の用事で、頻繁に利用しているニューヨークとロンドンの移動にエコノミーを使っていて、それが大学事務に知れて、困る、体面があると苦情をいわれたことを笑いながら話していました。自分は体が小さいので、エコノミーで全然問題ないといってました。かれの庶民性はきわだっています。いまや希少な、愛されうる組織のトップのひとりなのでしょう。それでも彼からは、英国での組織でのトップにいた頃にあった、激しい権力闘争をなんどかして大変だったことを聞いたことがあります。わたくしにはわかりませんが、トップで居続けながら、組織上の敵ももちながら、組織を構成する大多数の人たちから愛されるというのはたぶん至難なことなのでしょう。

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