Douglas Prasher博士のケース、ノーベル化学賞の裏側で、日本の科学

米国サンディエゴのPRさんからメールが来ました。ぜひこれを読んでみたらというウエブサイトがありました。Glowing Gene’s Discoverer Left Out Of Nobel Prizというタイトルの記事です。
つまりことしのノーベル化学賞の人たちにはいれなかったひとで、しかし重要な業績をなしとげたのに、いまはバス運転手をしているDouglas Prasher博士のことを書いた記事です。よんで嘆息がでたものでした。

このかたは、下村博士のおられたところ同じ海洋研究所にいて博士がみつけたGFPタンパク質の遺伝子をつかまえてその配列やアミノ酸配列を決めたものでした。
それで、まさにこの遺伝子をもちいてチャルフィー博士など今回の受賞となった研究をしようとしたのだけれども、継続困難で、研究費を打ち切られ職もうしなってしまったのだそうです。
チャルフィー博士やもうひとりのチェン博士も遺伝子はこのプラシャー博士から貰っています。チャルフィー博士の最初の論文をみると、このプラシャー博士がたしかに著者のひとりになっていました。かれは自分が得た遺伝子を独り占めにしないで、これらふたりのノーベル賞受賞者にわたしたことをいっさい後悔してないそうです。
しかし、米国でのNIHからの研究費をとれず、もっと応用面のつよいエネルギー省やNASAで職をえたもの、3年ほど前に失職しいまはつなぎにバス運転手をしており、経済的に困窮していると、インタビューに答えています。
かれは、自分はノーベル賞受賞者のような能力がまったくないので、なんら恨むような気持はないが、どこか研究のことを全部忘れてしまう前に、どこかの職に就きたい、といっているそうです。周囲の関係者もなんともったいないと言っているそうです。
日本でもうとうに起きていることですが、研究大国の米国でも同じことは起きているのです。しかたがない、と忘れてしまえばいいことでしょうか。
このプラシャーさん、受賞者のだれかが自分の町にきたら、いちどディナーぐらいおごってもらって話をしたいと言ってるそうです。いさぎよいがあまりに、悲しくなるような話です。

実は、PRさんもうひとつメールで言ってきたのは、このGFPの研究史を辿ると、わたくしの研究室は酵母にGFPを応用した最初だったということを発見したというものです。
そうなのです。いま在米の鍋島建太郎くんや久留米大の斉藤くんたちが分裂酵母に応用すべく頑張って、チャルフィー博士の論文の一年後に発表しています。しかし、遺伝子はこのPrasherさんでなくチャルフィーさんから貰ったのですが、GFPで別種タンパク質を視覚化するという試みでは、ミドルオブサイエンスの範疇でした。しかし、このDis1やMis6の研究にとっては非常に貴重な情報をもたらしました。
しかし、わたくしは下村博士の源流になる研究をうかつにも知りませんでしたから、大きな発見の源流を辿ることはとても意義があることだし、職業的研究者にまかせてはいけないのです。科学の歴史を辿って教訓をえるためには、またここにも人材を育てる必要があるのです。そうでなければ日本でなされる科学などはいつまでたっても海外で深く理解されることはないでしょう。

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