今月と来月は忙しいのです。先週土曜日の一日は宇都宮郊外のいとこのところでのおばの十三回忌に行ってきました。母方の親族とあいました。両親が生きている頃にはわたくしは何もしませんでしたので、その埋め合わせをいまになってしています。親族に会うのは、それなりに、考えたり、感じたりすることが沢山あるので、有意義な時間を送れたと思っています。いとこのTさんは手広く果樹園をしていますが、今回は栃木県が開発したという、巨大な梨をいただいて食べました。なかなかさっぱりしておいしいものです。
今週、来週といろいろ次々にスケジュールがありますがその日暮らし的に対応する予定です。とりあえずは、金、土の東京であるクレスト研究費の中間報告シンポジウムと評価会の準備をいましています。きょうの夜は、京都駅のそばで分子生物学会の若手倫理教育のワーキンググループの皆さんとお会いします。
話題の辞任した航空幕僚長の会見や、新聞マスコミなどの一般的な対応を興味深く見ました。マスコミは総じて、徹底的にネガティブとみました。
東京新聞では数人の現代史専門家の意見を聞いてますが、全員こっぴどく批判しています。もういちど小学校に入り直せ等、日本現代史専門家は完全な拒否と見受けました。
ちょっと違うのではないか、とも思うのですがしかたありません。この元幕僚長と対話のできる歴史専門家はいないことがだいたい分かりました。
それできょうの話題である、日本に右翼政党はあらわれるか、ですが、いまの自民党政治や続いて似たような民主党政府ができれば、ナショナリズムを表にだした右翼政党のできる素地は相当にあるとみます。5%から10%のあいだの支持をつかむ政党が出てくる可能性があります。しかし、束ねる指導者がいまはいませんので実現の可能性はまだまだ低いでしょう。
しかし今回の、元幕僚長の論文をよむと、右翼系の理論的なテーゼというか、政治的精神的スローガンはここに一つあると思いました。そのうえで、われわれの生活が苦しいのは、外国人(特に中国とか米国)に国を売っている政治家、資本家のせいなのだと、いうロジックをもってくれば右翼政党のよってたつ「ひとつの」基盤ができることになります。
これから日本の社会に経済的に苦しく、社会的に疎外されていると感じる人々がふえれば、必然的に右翼政党というか、国家主義的な政党が生まれる必然性があると思われます。ただ、指導者がまったくいません。自然発生的な不満を持った人々の集団示威行動が出てくるとすれば、そのようななかから指導者が生まれてくるでしょう。
元幕僚長の書いた論文は軽視しないほうがいいでしょう。武力をもった実力集団の中ではある程度共通の基盤を持った意見のようです。自衛隊員はいまや、もしかしたら日本社会における最大の不満集団なのかもしれません。