きのうの講演は楽しかったです。
ここ1ー2年くらい、いろいろ考えていることをしゃべって、はきだしたものですから。
まだまだまとまっていない、初期段階の研究の話もいろいろさせてもらいました。気分がいいものです。
講演のあとで関係の先生方と会食しました。みなさん、京大病院の医師でもありますから、いざとなるとお世話になるかもしれないので、わたくしにとって知り合いになれるのは心強いことです。
そこで話題になったことの一つは、長寿の研究は日本政府によってどこまで望まれていることなのか、というでした。もちろん表向きいいにきまっています。
しかし、楢山節考をもちだすまでもなく、長寿が社会的にそれほど望まれているのか、いわんやますます日本人が長寿になるような研究をすることを、政府というか特に厚労省は望んでいるか、怪しいものでしょう。
そもそもそんなに長いこと、なんにもしないで年金生活をすることが社会的に喜ばれるとおもえるのは随分楽観的な人生観であるにちがいありません。
年金生活を5年くらいで終えて、あの世へいけば、年金のために払ったお金とトントンなのかもしれません。
ですから社会貢献もなにもしないで、ひたすら20年も30年も年金をもらうだけの生活を長寿者がしていたら、そういう人たちを支える若い層から怨嗟の声が出るに違いありません。
そんなふうに考えれば、長寿者はかなりの覚悟をしないと、誰からも祝福されにくいのかもしれません。いわんやだれもがますます長寿になれるような研究がどんどんでてきたら、もうすでに崩壊しているような年金制度がさらに一段と早く崩壊するかもしれません。
長寿の研究自体は大変おもしろいし、当然やるべきなのでしょうが、長寿候補者達がどういう生活をするのがいいのか、これがとても大切。医師のかたがたには大いに発言して欲しい。というのが、医師でないわたくしの意見でした。
たとえば、70代半ばでも50代なかばくらいの能力を有している人はそういう年齢になるまで、仕事を続けるべく、若い頃から準備をしておく必要があるのではないでしょうか。仕事がもういやなら、どうして社会にとって負担にならないような自前の生活ができるような方策を考える必要があるのではないか。
楢山のおばあさんはどうにも思いつかなくて、口減らしのために息子に頼んで山に登って死を選びました。そんなことは今の世の中したくもないし、出来もないでしょうが、しかし、類似の問題があるような気がします。子どもに迷惑をかけたくない、しかしもしかしたらとんでもない長生きをしてしまうかもしれない、そういう恐怖を潜在的にもった人たち(女性に多いのですが)は多いのです。
わたくしは、こういう問題は年取ってから考えても間に合わないので、若いときから充分考えておく必要のあることだとおもうのです。
タイの裁判所が与党の解散命令、首相の5年間公民権剥奪とか。これはまた、ひどい強権的なやりかたで、これでおさまるはずがありません。
タイの政情は相当深刻なようです。タクシン支持者は相当多いし、軍部、国王などの保守派だけでは国は動かないでしょう。政情安定と見てタイに進出した日本企業にはおおきなダメージのようです。
オバマ、クリントンコンビの次期米国には日本も相当な対応策を考えないと、大変だという意見が多いようです。わたくしもそうおもいます。
ロシアとベネズエラの共同演習は、グルジアでの出来事のしっぺ返しに違いありません。弱体化する、という希望的観測のもと米国をあなどる国際的事件がこれから続々と起きて、その時に米国が頼りにするのが中国という図式が見えてきたような気がします。