通勤途上、山科駅での人の多いこと、疎水での桜見物客が多いのでしょうか。友人たちと待ち合わせたり、一緒に行動しているので、人だかりが大きくなります。
皆さんの声もはなやいで、浮かれる季節がきたことに気がつきます。妻もいろいろ行事がたくさんあるようです。年配の日本人には不景気でも自分の生活をしっかり持てるし、こういう季節には浮かれる気持も持てるし、いい時代なのでしょう。
若者も世の中の復古的な気配に調子を合わせてきているし、案外親と同じような考えをもてて、軋轢の少ない親子関係を持てる家族が増えてるのかもしれません。東大や京大での卒業式には親子同伴者がすごく増えているのも、そんな時代の変化があるのでしょう。
なにかで見たのですが、最近の若者は、エコバッグみたいで、倹約好きなのだそうですが、小さくたたまれているので、能力を伸ばすためには拡げてやらないと、いけないとか。
わたくしもあしたは、比良の家の三本の桜の少数の花を愛でたいとは思っています。
来週からの中国北京、上海への旅程もだいたい決まりました。
あとはわたくしの講演準備だけが残っています。どうも聴衆のかたがたの顔がうまく目の前に浮かばないので、準備が難しい面があります。週末も入るので、向こうの研究室の人たちの案内で観光も出来そうです。楽しみです。
ロンドンでのG20経済会議、日本の存在感がおそろしく希薄だったような気配です。
英国のも米国のも長い新聞記事を読むと、日本という言葉がまったく出て来ないのです。でもそんなものかもしれません。日本はしょせん大勢順応という認識で、面白い記事が作れないのでしょう。麻生首相は、元首でもないし、行政の長になってから日が一番浅いとかで、座席も一番マイナーな場所だったとか、産経が書いていました。
日本の経済は米欧への輸出中心なので、ある意味一番苦境にいるのが日本、という認識もあるのでしょうか。でも、これまで貯めた貯金がたくさんあるので、一年二年くらいはそれをはき出してやっていけるだろう。その後はどうなるのか、危ないのではないか。そのあたりのあまり暖かくない雰囲気が日本を見る目なのでしょう。麻生首相がみそっかすになっていると感じた日本人は多いでしょう。リーダー国でもなく、主張もしないし、経済規模はとても大きな国をどうみるか、町内会的な比喩でも簡単に想像できます。
最近のマスコミはしきりに情報操作的な小細工をろうするのが気になります。
たとえば、日本には技術力がすごくある、このセリフがおおいです。
環境技術は日本はいつのまにやら世界一とか、そんなセリフがやたらに多いです。
否定する気はまったくありませんが、でも急にそういうことを言い出すのは、元気のない企業を元気づけようとしているのでしょうか。
マスコミは全体に広告収益がすごく減って、経営的に苦境です。最近ではパチンコ業界ぐらいしか金に糸目をつけずに宣伝するところがないので、マスコミが企業にもみ手をしているというのはたぶん邪推でしょう。
でも技術のすぐれた日本は、いまやあおによし奈良のような、まくらことば化している感があります。それは、それでいいのですが、枕詞化しても広告が増えるとは思えません。特にテレビは。パチンコとかソフトバンクの広告が番組の内容とぴったり一致している感があります。