アジア通貨への道、アジア人研究者のための組織

戻りました。
早朝からいままで、バタバタと息もつけないくらい忙しく働きました。一休みです。

わたくしが始めてヨーロッパについた1967年当時、たまに車のステッカーにEurope Unitedの類のものがありまして、夢物語の一つとして、統合ヨーロッパがあることは知りました。しかし、あの犬猿の関係のドイツとフランスが一緒にやるなど想像できないものと思っていました。日本でよくノーベル賞受賞者が集まって高尚に世界連邦などと提唱する類のものと思っていました。
しかし、当時EMBO(European Molecular Biology Organization)なるものがあり、こちらには多大な関心を持っていました。Appleyardというかたが秘書役をやっていて、たしかJohn Kendrewだったかがトップだったような気がします。
つまり研究者、特に基礎の研究者は国境を越えてなんでも話しあって、一緒に行動出来る、だからEMBOという組織ができて、各国政府も少額ながらも拠出金を出そうじゃないか、ということだったようです。
自分がまさ一年後に、このEMBOの短期奨学金をもらって、スイスから英国に実験をしに出かけられるなど夢にも思いませんでした。わたくしは、アジア人ですが、こっちと向こう側のボスがヨーロッパなのでOKということで、あっさりいけることになって有頂天になったことを思いだします。それがあって、わたくしの今日の研究スタイルができたので、EMBOあってこその自分の研究経歴と思っています。EMBOの外国人会員になれたときには本当に嬉しく思ったものでした。

それでAMBOなるものをどう思うかです。Asian Molecular Biology Organizationなるものを作ろうという動きはすくなくとも三回はあるようです。わたくしは、その最初の時、米国のJames Watson博士,日本の赤堀四郎、渡辺格先生が主唱したときに下働きをしました。いろいろな事情でどれも成功しておりません。最初のはずいぶん続いてわたくしも一度講習会をお世話したことがあります。
なぜうまくいかなかったのか。EMBOはハイデルベルグに素晴らしい研究所もでき、夢物語と思っていた統合ヨーロッパは出来てしまい、東ヨーロッパなどはいまや生命科学の人材の宝庫とすらなっています。

こんかい中国科学院のある上海ではAMBOについて話題になったことがありました。
いまのわたくしだったら、AMBOやろうじゃないですか。
アジアの統合は国家としてはまだ難しくても、通貨を一種類にして経済の共通基盤をひろげることはもう十分視野に入ってきているので、AMBOもそのような時代の前駆活動として捉えればいいじゃないですか。
研究者は国家の違いを越えて共に働けるので、共通経済圏となるませに、まず共通研究圏を作ろうじゃないか、そんな風にいいたいもので、実際そんな風に返事もしました。
しかし、日本の研究者は一人大物がいるとすぐその周辺に一党が出来てしまう傾向があるので、日本が表にでるとろくなことにならないかもしれません。しかし、アジア共通通貨への道が開かれる前に、アジア研究者のための組織を作れたらいいとおもうのです。

はなしは違うようですが、中国でもなんかいか山中伸弥教授はいつノーベル賞をとるのだ、と聞かれたものでした。そういう人物がアジア共通話題になるだけでも、「機は熟した」と思うのです。
シンガポールには伊藤教授もおられるし、共通感覚、共通話題にはもう事欠かないはずです。

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