64回目の原爆忌

このあいだ書いた静止細胞についての総説のへのレフェリーとエディターのコメントが戻りました。予想よりずっと良いものでひと安心でした。非常に価値あるとのおほめのことば、ありがたいものです。しかし、やはり改訂はせねばならぬので、またひと仕事です。

きょうは原爆忌です。まいねん新しい話題も増え、国民的関心事であることは間違いありません。
原爆症訴訟も選挙のせいかどうか、政府は全面的な救済認定を決断したようで、一歩前進なのでしょうか。

のどに刺さった骨みたいなのは、やはり米国の60%以上の国民が原爆投下は良かった、あれ以上の死者を出さないので最善の策だった、とおもっているという類の報道でしょうか。
日本国民がそれを聞いていい気持ちがするはずがありません。強い反撥もあるのかもしれません。しかし、だからといってそれから何が生まれるのでしょうか。
オバマ大統領が米国は核廃絶の方向に向かうべき、唯一の核爆弾の使用国の責任として、とかいう言葉をつかったとかで、来日時にはなにか良い言葉が聞かれるのではないか、との期待が日本側にあるようです。

でもわたくしは日本の向かう努力はちょっと違うのではないかな、と思うのです。よその国にまかせてもしかたないでしょう。
やはりあの、もうくりかえしません、あの過ちは、というその過ちが具体的になんであったのか、ということでの国民的合意がいまだにできていない、そこが一番大切だと思うのです。
わたくしも毎年この時期になると、その一点を考えます。
ことし考えたことは、以下のようなことです。
なぜ日本人が、無辜の日本の国民がこれだけ多数核爆弾で死んだのに、それが世界の同情を集めることができなかったのか、その理由をかんがえることに意味があるに違いないと思うのです。
いま広島の原爆記念館を訪れる日本人も外国人も、だれもが味わう感情がなぜいまだに世界でごくわずかにしか共有されないのはなぜなのだろうか、そういうことです。
実は日本人の多く、被爆者すらもあまりの被害のひどさを、隠したとも言えるような経過があったのです。
この隠した時代は戦後けっこう長かった。近隣の国々は日本の敗北を喜び、原爆投下を復讐的に見る傾向が長いことあった。この爆弾のもつ特別な恐怖がまったく理解されていなかった。
日本人の多くは別に戦闘的でもない穏やかな人々であったのに、世界的には「鬼畜米英」「神国日本」というスローガンで一心的に国家総動員で外国に立ち向かう、戦闘国家と思われていた。このイメージはいまも日本のイメージの一つとして残存していると思われるのです。
このあいだの新インフルエンザ騒ぎの時の、国の出方とマスコミの一致した報道のしかたに、なにかそのような臭いを感じたものです。
北朝鮮といえばテポドンを発射しマスゲームと軍隊行進しか画像で見られない報道のたぐいと同じようなもの、もっとはるかに悪いイメージを日本について助長する報道しかない状態が戦争中と戦前7,8年は続いていた、このことも非常に大きい。
現代の日本人に北朝鮮や一部のアラブ諸国のひとびとに対して感ずる、同情心の欠落がもしもあるとすれば、戦前や戦中の日本は同様なかたちで見られていたことを忘れるわけにはいかないのです。
何故もっと早めに降伏しなかったのかと考えるよりも、日本が長きにわたって世界から疎遠となり、ならずもの国家のようになってしまったことへの反省が一番必要なのではないか、と思うのです。言葉には出さないものの、西欧国家は日本軍国主義者は、世界のならずものという認識がいまでもあり、それを破壊するためには原爆投下も致し方なかったと思っていたことなのです。この類の「日本の世界史のなかで占める位置」はいまでもあまり変わっていないでしょう。日本軍国主義的なものはですから、常にチラチラと西欧支配の世界観のなかで地位をもっていることも忘れてはならない、ということでしょうか。

日本の運命は多くの外国の運命となんら変わりがない、このようにわれわれも外国の人も思うようになれば一番いいのですが。

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