昨日は午後の自由時間に一番近い町のBargaというところに行きました。
Luccaよりは格段に小さいのですが、それなりの魅力のある町でした。こういいう田舎のまちでイタリアの人たちがどんな暮らしをしているのか垣間見られたからでした。2時間程度の散歩でしたが、やはりこれも一見の価値あるものでした。
わたくしのlifetime acheivementという講演も昨夜無事おわりました。講演後、分野的に非常にちかくてこれまで接触のなかった方たちこられて色々話ができたのは有益でした。有意義な経験ですが、実感としてはこういうのはいちどやれば十分、というものでした。ただ、残りのふたりの該当のスピーカーもまだまだ元気というところを強く見せていたのが、共通点だったのは面白かったでした。わたくしは今回はかなり平素とはずれたところで新しい視点を提供したつもりでした。
そのあとで、いろいろ若い人としゃべって、なるほど、分野からずれたことをやること自体が難しい、あえてやるといろいろ苦労すると聞きます。だいたいそういう傾向は、いまも昔もつづいているものです。
ずっと前にも書きましたが、最初の頃、わたくしたちの酵母をつかってやった研究など国際会議ではなかなかまともに相手にされなかったものでした。なにが分かるのか、関係ない、そんな態度を露骨にとられたこともありました。しかし、そういう傾向は変わり出すと急速に変わるものです。
いまのこのmitosisの分野は微小管や動原体や分裂装置に視野狭窄になってる人たちが多いのは事実です。それよりもずっと大きな目で見ようという人たちには居心地は悪いのかもしれません。いわゆるreductionistという人たちは(わたくしもそういう人間のひとりですが)、根拠の乏しいと感じる新しい視点からの話を聞くのは嫌がるものです。しかしいつも新しい概念の展開を期待している人たちも沢山いるので、少数の革新を目指すひとたちは、めげずに頑張ってやるのが、老いも若きも取るべき態度なのでしょう。
いまの日本のマスコミの取っている態度は、米国にななにかきついことを言われたくてたまらない、そういう警告とか批判とかを民主党政権に言わせたい、そういうニュースを流したくてたまらない、こんなふうに感じます。自虐的なのでしょうね。かつては中国に出かけてやっていたことを、こんどは米国のマスコミや関係者をたきつけて何か言わせたい、そんなふうに見えます。非常によろしくない態度で、困った傾向ですが、マスコミもニュースを売る必要があるので、そういう記事が売れると思うからそいういうニュースを欲しがるのでしょうか。売れるとはおもわないのですが。
世界中、日本の選挙結果にほとんど見向きもしないのも、こういう日本のマスコミのこういう知的弱さに原因があるのでしょうか。
もうひとつ感じたことは、マスコミの記事を書く人間が、国民というか、投票者をやや見下しているようにみえることです。これは大変に問題ある傾向です。