世の中には二つのタイプの研究者がいて、研究費が無くなっても月給はもらえて生活自体はやっていけるというひとたちと、研究費が無くなったら、月給がもらえなくなる人たちです。つまり失業してしまうのです。
この10年間、後者の研究者が飛躍的に増えたはずです。
どこかに統計値がでているといいのですが。実感としては10倍くらい増えている気がします。もしかしたら、もっとはるかに多いのかもしれません。
わたくしのラボの全員がそうです。京大も沖縄のほう、どちらもです。
沖縄のほうはいまは評価後まだ1年ですからいいのが、評価1年前はかなりひやひやしたものです。
京都のほうは来年研究費が切れますから、新規に研究費が当たらなければ、後者の場合となります。
こういうことは、わたくしのところだけではなくて、日本中どこもこんな感じです。安定した研究職についた研究者は激減しています。
そいういう研究者はやはり心がうつろになりがちです。長い先のことはあまり考えられないでしょう。
根無し草研究生活、ニッポンという感が深いです。かつては月給はやすくてもこのままずっといられそう、という感じだったのですが。特に大学は。
がんがんと研究している若者も、心の中では、来年はどんな風が吹くのか、自分の生活自体がさっぱり分からなくなっています。10年後の研究計画など立てられるでしょうか。難しいでしょうね。
セーフティネットなど研究費のほうも月給のほうもどちらもない人たちが増えました。これでいいはずがないのですが、誰に文句を言っていいのか分かりませんでした。
重点、重点、としか言わない官僚にそういうプロジェクト研究ばかり日本がやっていたら、残りの大多数の研究者は干からびてしまうと文句をよく言ったものですが、たいていそれはもっと別な文科省の人にいってください、という返事がきたものです。基礎研究をになう文科省の官僚の方に言えば、研究費は別のセクションの担当でしょう、とかいう返事がきたものです。
でもとうとう菅大臣の国家戦略室だか局なるものが出来るのだそうです。
ここに苦情を持っていくのがどうも一番効果的なのでしょう。
なんとかして、この根無し草政策・行政を変えてもらいたいものです。
重点政策のまえに、ひろくまんべんなく最低限の研究をおちついて出来る環境が無ければいけません。そのうえで重点政策があるべきでしょう。全部とはいえません、ある程度の割合で、出来たら半分くらい、最低でも3分の1くらいの研究者は長期でものが考えるようになってないといけません。
いまのままでは、多くの研究者は干からびてしまうでしょう。そんな状態に重点研究の経費とかを持ってきても、効果がでないでしょう。ヘタすると、過激に高額な研究費など死にそうな病人に大きなステーキを無理矢理たべさせるようなものになってしまうかもしれません。