若い中国のラボヘッド、老後をいかに幸せに過ごすか

昨日の夜は自宅のほうに今回北京からきたDさんに来て頂いて晩飯を一緒に食べました。仕事のちかいラボのN君も一緒でした。
Dさんは若いけれども米国に10年以上もいて、中国の看板になる国立生物科学研究所のラボヘッドでもありますから、人物識見ともトップクラスであることはいうまでもありません。
中国のいまのすがたを客観的に冷静に見られる能力があり非常に話しやすいです。
ただ実際のところ、このあいだの中国旅行でかんじたことは北京や上海のトップクラスのラボヘッドはみなさんほんとに本音の話ができてとてもいいものです。
中国の人も日本も同じ人の子だな、と思うことが多々あるので、やはりかなり話し込まないと相互の深い理解に進まないものです。いちどでなく場所を変えて複数回あっているうちに相互理解は深まります。
外国の人を家に呼ぶのは一番いい国際交流の方法でなにも隠すものはありません、お互いにそういうことでつきあいましょうね、ということです。
そういうことで昨日の夜は平素滅多に聞けないような話も沢山聞けてとても意義がありました。妻も興味深そうに聞いていました。Dさんにも楽しんでもらったとおもいます。

今日は彼にラボでセミナーをしてもらって、若い人達とも話してもらっています。
中国では本格的に優れた若者たちのラボヘッドがたくさん出てきています。
Dさんの研究所も最近ラボヘッドを倍増することが政府レベルで決まって早速人捜しが始まったそうです。

最近は老後をいかに幸せに過ごすか、という類のことで色々な人達が色々なことを言っているのですが、どうもからだ派と脳派のふたつが主にあるようです。つまり前者は体がすこやかにというもので後者は気持が感情がすこやかに過ごすこういうものらしいです。一般にインテリの方は、脳派のようです。東大の上野さんなどはもっぱら脳派のようでいかに老後を過ごすかを意志とか感情のレベルで論じています。
わたくしは、脳の前に体があると思っています。
つまり、老後どういう自まえの体をもって過ごすかです。
簡単にいうと自力で歩けるというのが、なにをさておいてもいちばん大切かな、と思うのです。つまり何才になっても95才になっても100才まで生きてしまっても、自分で歩けるように人生をいきる、老後の努力をそういう方向に先ず向ける。
予防としては、歩けなくならないようになる状況を極力作らない、つまり寝たきりとか車いす生活にならないための努力に老後の生活の努力の6割か7割かけてもいいと思うのです。京大病院でアンチーエージング外来を始めた近藤さんなんかもやはりそのあたりに方向を定めているのだと思います。
自力で歩ける上に、毎日いそがしく気分良く生活ができる、これがたぶんいちばんすこやかな老後なのに違いありません。そのための経済的な基盤はもちろんですが、やはり心のよりどころはなにになるかです。
きょうはここで止めておきますが、実は宗教と生命科学がここに登場してくるのだと思います。ふたつは重複した機能をもっています。
宗教をとるか、生命科学をとるか、それとも両方をとるか、この態度決定で老後の生活は随分違うものになってくるのだと思っています。

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