わたくしのこだわり、普通の若者たちだからこそ

夜半すごい風で,朝になっておそるおそる外を見ると案に相違して,雪はまったくありませんでした。
ただ温度はかなり低い。しかし昨夜からストーブの薪を潤沢に使ったせいか家屋内は寒くありません。

あすとあさっては京都ラボと沖縄ラボの合同セミナーがあります。
毎年やっていますが、沖縄のラボメンバーに取って非常に大きな意味があるセミナーです。
わたくしにとってはわずか総計2ヶ月ほどの英国のケンブリッジの研究生活がその後の自分の研究生活を決定してしまったと自覚していますので,このような点に非常にこだわります。
前はふたつのグループはかなり違ったことをしていた感があるのですが、最近はテーマ的に入り交じっています。とはいえわたくしの頭の中ではかなり大きな違いがあるのですが。でもなるようになってきたかな,という感があります。

最近、米国に留学にいく日本の若者が減ってきたと新聞に書いてあります。でもそういう傾向はわれわれの分野でももう15年くらい前からはっきりしていました。ポスドクはまだいるのですが、大学院生で日本人に会うのが米国では顕著に減ってきたと思いました。
いまはポスドクも減ってきました。でもその原因は別に若者が新聞で書くように、草食的になってきたからではありません。
米国に留学しても,帰国してから有利な点が無くなってきたからでしょう。
以前は米国留学が当然でいかないと非常に不利だと思っていた日本人研究者が多く、その結果大学院生でもいってみようかという気が起きたのでしょう。
博士の学位をとっても顕著な利点がなければ大学院博士課程にはいかないでしょう。いくとまるで罰をくうような経歴になるのなら、誰がいこうとするでしょう。
たぶん新聞は日本の若者が他のアジア諸国の若者にくらべるとどん欲さが足りないといいたいのでしょう。でもそれは無責任な表現でしょう。
米国で博士の学位をとってどうしろというのでしょう。米国人になれというのでしょうか。
日本のほうが食べ物もうまいし、人情もこまやかだったら、なんで米国人になる必要があるのでしょう。可能なら日本人として研究稼業をしたいでしょう。当たり前のことです。逆も真なりです。米国人の若者の大半は外国になど留学にいきません。
日本の若者が米国人化した、つまり自国がベストと思う意味で,国内化したといったほうがより正確な表現でしょう。米国と違う点は博士になろうとする米国人はまだまだ多いのに日本ではどんどん減っているという事実です。恵まれない職業なのに無理して頑張ろうという気があまりない若者たちを表現するのに,草食系、肉食系どちらでもないでしょう。
普通の若者でしょう。
もともと学問なんていうのは変わった人間がするものでした。変わった少数派の若者だけが日本社会では学問をする、ふた昔前はそういうことでした。

でもわたくしは、普通の若者がメリットがあるので博士をとって研究者になろうとする社会こそが日本が目指す社会だと今でも信じています。そのためにも博士取得者が公的な学校や役所で一定の比率で採用されることを義務づけることが不可欠だと思うのです。
この案を実施しようとする政党がでてきてほしいと願っています。

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