正義はわれにあり、と言う態度を露骨にしめす人達がいるものです。
イラク戦争時の米国政府、イラン原理革命時のアヤトラの発言、もちろん近傍では北朝鮮の報道、さらにもっと近くではきのうこれ見よがしに家宅捜索に入った特捜のひとたち。
そういうものに対して、批判的であるか冷笑的なものがかなりある、つまりイラク戦争開戦時の米国のようであれば健全な社会でもあり、一方で軍事権力が大統領側にある以上止めることが不可能ある程度しかたないことです。しかし、イランや北朝鮮には批判がありませんから、正義はわれにあり、の人達はその気になればどこまでも暴走できるわけです。
この東京のどこかにある特捜の正義は我にあり、これに強い批判、冷笑的なものが日本国内にどれだけあるかというと、マスコミのうえに大をつけるとほとんどというかまったくありません。このままでは、特捜のわれにある正義のまま日本はどこかに連れて行かれてしまいます。正義というのはお金になりません。だから北朝鮮やイランは貧乏なのです。アメリカはイラクの石油利権をおさめるためだと疑われたし、古くなった武器を沢山使いたいとか、あの戦争の正義は案外疑わしいのです。
それで平の清盛さんからサダムフセイン化した小沢氏に正義はあるか?あるはずがないと思うのです。正義の対象になって牢屋に入れられるかどうかが問題なのであって、小沢氏がなにか正義を持っているとは誰も思ってないでしょう。こういうへんてこりんな状況にもかかわらず、テレビのコメンテーターが真面目な顔をして小沢氏は説明責任があると言ってます、ほんと馬鹿じゃなかろうかといいたいです。
小沢氏は守るのに必死でしょう。
こういう正義はわれにあり、という官僚国家権力と大マスコミの合作で、一円の儲けにもならないことに、国が拉致されたような状況になり、毎日毎日小沢問題で血道を上げている、この国の末路が不安でたまりません。
聖戦といって国が戦争に乗り出す時の予行演習みたいなことを今やっているのだと思います。マスコミの罪は本当に深い、と思います。このブログを読んでいる読者には耳タコでしょうが、でも検察の人物を特手して、また相手をしてリークするのに加勢するマスコミの人物を特定することが最も大切でしょう。いったいどこでたれ流しをしているのでしょうね。
わたくしがなぜここまでいつまでもこだわっているか、一つの理由を挙げると、わたくしが長い研究歴で何度かひどい目に会っているのですが、その相手はいつもこういう正義は我にありの態度を露骨にしめす連中でした。わたくしの意見を面前で完全否定したり、もしくはわたくしどもの過去の盤石と思われる結果を全面否定か完全無視してきた連中はまさに正義はわれにあり、という連中だったのです。もちろん時が経てば、場合によっては10年や20年もたてばある程度ましになってくるものです。孤立無援というのはこういうことなのだと、何度も思ったものでした。世間は冷たいし、大マスコミのようなえらいさんの意見特に外国のえらいさんの意見に皆なびくのです。だからわたくしにとってここで言う意見は基本的に生活者の意見なのです。