眼鏡、旧暦の復活で楽しむ、郷原信郎氏

この半年くらいから眼鏡を二つ使っています。ひとつは平素生活用でもうひとつはパソコン用です。つまり平素用では画面の字がよく見えない。画面用はいわゆる老眼用でこれをつかうとよく見える。でも遠くはみえない。
情けないことですが寄る年波には抵抗できません。
平素用もつかわなくて普通に生活できるのですが、小さい字がよく見えないのですね。社会生活ときたま小さい字を見る必要がありますので、平素用が必要になることもあるのです。年をとると自分の周辺にいろいろ小道具が増えてきます。

緑の生活というか週末農業を続けてくると、だんだん旧暦のほうが新暦よりずっといいことに気がつくのです。旧暦はうるう月とかたまにややこしいことがありますが、でも季節感的には圧倒的に新暦よりも合っていると感じるのです。最たるものは正月です。旧の正月を2月の10日頃にする中国や韓国の話を聞くと羨ましく感じます。盆のほうはわたくしがあまり熱心でないので実感はあまりもたないのですが、でも旧盆だからこそ死んだ人が故郷に戻ってくるという実感があるに違いありません。いまの新盆ではまだ梅雨時でピンと来ません。
正月を新春とか賀春とか書くのを子供の頃にへんだなぜんぜん春の感がないじゃないかといぶかしく思ったのですが、旧の正月の時期ならまさに新春、賀春の気持ちになりいよいよ今年の仕事(つまり植物の生活)が始まるおもうのです。
最近農に興味を持つ人が非常に増えているのは間違いないのですが、旧暦生活をするためのカレンダーを先ずつくる必要があるのです。今年の旧暦正月は2月の14日のようです。
農村から労働者の多くははがされて季節感のすくない都会生活に住むので旧暦の必要性を感じなくなったのでしょう。それに、うるう月などあると月給をもらう月が一つ増えるし、資本家としては新暦がいいに違いありません。
しかし旧暦が生活の一部に復活できると、生活に潤いがでてきます。それに日本の自然と歴史の両方を実感を持って楽しめます。そのためには旧暦感覚が不可欠のようです。

身辺のみだけ書くとはいったものの、小沢氏の秘書関係者が3人逮捕と聞かされては何か言いたくなります。
鈴木宗男氏の「検察のやっていることは平成の2−26事件」というのがわたくしの実感にちかい。朝日ニュースターでの愛川欽也氏の番組での郷原信郎元特捜検事の説明が水際立っていました。このひと東大理学部出身です。理学部出身の人間の痛快な心意気、たとえ1万の敵がいようとも我行かんを久しぶりにかんじました。鳩山首相がこの人を法務大臣にしたらさぞ面白くなるでしょう。

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