きのうはサッカー日韓戦があると思い込んでいましたら、なんだ前夜祭だって。
テレビをちらっと見てそう思い込んでいたのですが、ガッカリしました。
でもやはり日曜の夜なので他にも見るもの無くちょって見ていましたが退屈して、より退屈しない仕事をやってしまいました。
民主党で唯一人気のある仕分けですが、色々やり玉に挙がっています。大方の庶民は溜飲が下がるのでしょうが、国家財政への寄与は微々たるものでしょう。無駄遣い、昔から言われるとおり、金額が自分の分かる範囲では喧々がくがくになります。でもそれが100倍大きい金額になるとみな黙ってしまうものです。100億円するものを95億円が適正価格なんていえるひとは殆どいませんし、また庶民感覚を外れているので判断できないのですね。それで年収が2000万円を越えていると聞くと眼をむいて怒る、こんな感じでしょう。
いま名古屋の河村市長がおもしろいですね。過激な正論を振りかざしています。よく聞くと、決して過激でなく、真っ当な常識なのだとわかり、感心しました。つまり政治をやる人は庶民より給料が多くてはいけない、これすごい正論でただただ感心です。でも北欧では常識の考えと聞くとそうかも、と思います。フィンランドの医者はえらく薄給なのですが、あの国ではだれも不思議に思わないようです。どういうロジックか聞いてみたいです。正論だから実現するとは限りません。名古屋の議員さんの給料がどうなるのか、興味深い。
この仕分けのニュースをみていると、わたくしは自分がいつのまにか仕分けられるがわの心理になってしまうのがおかしいです。
でも憎々しげに写される仕分けられる側と白馬の美女風の議員さんと比較すればどっちが美しいかどっちが醜いか一目瞭然なのですが、どうもこの醜い側に自分が属していると感じます。正直。
わたくしの人生なんて、要するに無駄人間の人生でしたから。
いなくても困らない、こっちもすきまを見つけて生かしてもらいました。
折々のセンター入試の試験監督やなんかで社会貢献をした気分になりました。
理学部の学生も無駄人間の卵みたいなものですから、講義をしても無駄の上塗りかな、などと思うのですね。
仕分けられたもののなかに、本当は実は素晴らしいものがあったのだ、という美しいストリーもたまには調味料的に聞きたい気分です。
この競輪補助事業も昔は経産省の基盤センターとかいって、故橋本首相の肝いりで研究開発事業なんかの補助にお金を出していた記憶があります。今だったらこっぴどく叱られるのでしょうか。
それが日本でナンバーワンのタンパク研究グループを長いことサポートしていましたが、やはり産業にすぐに役にたたないと批判されて随分前に廃止になりました。でもあの無駄な金の価値はすごくあったと今でも思います。
無駄はやはり消すというのは正論ですから反対はしませんが、でも無駄なものがいちばん素晴らしいものを生みだすのだ、という私の信念は微動だに揺らぐことはありません。
無用の用が、最高の倫理なのです。私にとっては。
いっぽうで、素晴らしいものなんかなくても豊かな経済生活をすごせれば人は幸せなのだという思想もまちがいであるはずがありません。