きのう京都ラボの皆さんに、やはり来年3月末にラボを閉鎖せざるをえないという状況を説明しました。いろいろ努力したが存続の可能性はまったくない、と申しました。それでこれからは皆さんひとりひとりと相談して今後のことを決めていくというはなしもしました。
来年までにひとひとりのこともありますが、ラボ閉鎖というのはかなりの事業で研究室で作ったいろいろな変異株を寄託する作業もあり前に4000株大阪市大のセンターにしましたが、これが最後となるので、未発表のも含めてかなりの作業とおもわれました。またヒト培養細胞関係もかなりあるのでこれは別途考えなければなりません。ありとあらゆる装置から最後は試薬のたぐいまですべて清算するわけですのですごくエネルギーのいる仕事です。
わたくしが沖縄と京大の二つで研究を続けるのに批判的なことを言われる東京と大阪での大物の先生達が何人かいることは具体名もあわせて存在はしっていましたから、研究費の申請内容とは別にわたくしが不利な状況にあることはわたくしの年齢もあってもともと分かっていました。
しかし昨年の秋だったか、わたくしの面前でわたくしが京大の染色体や細胞増殖の研究のための申請をするのは「犯罪的だ」とまで難詰する人物が首都圏にいてわたくしが晩飯をたべにいったところで延々繰り返しそれを言われるのには閉口したものです。どう言うつもりかわたくしにはまったくわからず、なんのためにあんな不愉快な晩飯を食ったのか主催した先生の気持ちが今でも分かりません。たぶんわたくしに引導を渡すための意図だったのか,分かりません。
しかしこの話にはおちがあって(だから書いているのですが)、ことしの3月末に文科省だか学振だかの審査のヒアリングで研究室のN君とAさんを同伴していったところ、会場に入ると、その御仁が正面奥の座長席に座っていたのでした。これ以上書くと不愉快な経験を再現せざるをえないになるので止めておきます。
こういうことがあって、わたくしの染色体研究もとうとうトドメを刺されたのでしょう。
またわたくしの犯罪的行為は成功しなかったので、快哉を叫んだ人達が何人もいたのでしょう。
同伴のふたりの若者にヒアリングのあとに人生教育しましたが、実地の経験なのでさぞ役に立ったでしょう。かれらもただただことの成り行きにあっけにとられていました。
ここでいい機会なので、わたくしが沖縄と京大に二つのラボをもっていることを決して犯罪的とおもってない理由も書いておきましょう。
わたくしは口はばったいようですが、沖縄でワールドクラスの研究をゼロから作り上げることができるか、その一点で沖縄で努力してきました。もう6年経ちました。
わたくしがみずからに課したことは、染色体研究をしないこと、京大での研究を横にシフトするような研究はいっさいしないこと。ゼロから積み上げること、このゼロからということに格別にこだわりました。いまでは飢餓のしくみ、メタボリズムと細胞、寿命とか長寿のしくみ、とかでくくれるような研究に発展してきました。
そもそも最初に島貫さんが心意気で参加してくれて、畠中さんやいま英国の持田君など初めから頑張ってくれて、こういう研究が可能になったのです。
沖縄は明るくてあったかい人達の島ですが、社会経済的に悲しいことが多すぎます。最近の民主党政府のやりかたもあって、だいぶそのつらさは見えてきたものの、しかし未来を考えれば、島内に未来的なものがすくないので、それを増やすことには意義があります。
わたくしが考えた研究のイメージ実に単純で沖縄で始まり、メードイン沖縄でワールドクラスの研究成果を達成できれば、わたくしの使命は達成できるのではないか、というものです。
そういうゼロからという使命を引き受ける資格をもった日本人のごくすくない人間の一人のつもりです。
この仕事をするうえでわたくしにとって京大ラボの存在こそが日々の糧であり心のよりどころだったわけです。わたくしにとってまったく無であった沖縄での生命科学研究をここまで持ってこれたのもこの百万遍の角にあるこの染色体継承ラボがあったからでした。沖縄だけに居ついてできたとはまったく思いません。
わたくしのこういうダブルの研究は許してもらえるかと思ったのですが、とうとうが犯罪的というラベルを貼られました。続けなければいいらしいですから、来年三月静かにここから姿を消しましょう。
わたくしの研究が沖縄の人達に喜んでもらえるかどうか、いますぐといわれても困りますが、わたくしは充分にやるだけのことはもうやったと思っています。時が経てばわかるでしょう。
国内の研究者で賞めてくれる人もねぎらってくれる人もいませんが別にそれを求めてやってるわけではありません。でもひとりぐらいにはねぎらってくれてもいいじゃないかと思ったことはあります。結局いたのはひとり犯罪的だと言われたことです。
長年つづけてきた染色体研究、とうとう止めるのかと思うとつらさが身にしみます。しかしたとえごく小さくても許される範囲でなんらかの続行をはかりたいという気持ちもあります。
終わりはなかなか厳しいものだと痛感します。こういうのを客観的にみれば煩悩というのでしょう。
これが京大研究室閉鎖にいたる、わたくしのサイドからの真相です。