研究室閉鎖と染色体研究、村八分的状況とは

励ましのメールをいろいろ頂いています。
とくに染色体研究はぜひとも続けていただきたい、というのが多いです。
かつてのラボメンバーはさすがにラボが無くなることに哀惜の念を持たれるかた達が多いのは当然かもしれませんが。
たしかに、染色体研究は完全にやめると言う必要はありません。
研究者として一生やって来たような問題ですから考えたくなくても自然に染色体研究的な発想が出てきてしまいます。
ですから、京大の染色体ラボの閉鎖は来年の研究費が一円も無いのですから、もう完全確定ですが、染色体研究のほうは何らかのかたちで存続したいものです。というか研究の現場に居る限り自然に考えが向かって行くかもしれません。特にツールとしての利用に意味があるかもしれません。
しかし、京大のほうの後戻りはありません。
わたくし自体、研究科という組織から必要とされない状態がもう5年も経ったのですから、いい加減潮時なのでしょう。この5年間ひとりの京大生命科学研究科の院生がわたくしになにか質問に来たこともありませんし。教員では助教クラスの人達との交流はわずかにあったかもしれませんが、教授クラスのひとたちとは研究、教育レベルで意見を求められとことはまったくありません。かれらと言葉をかわす機会は少数の人を除いて、この5年間まったくありませんでした。ですから、まあ研究科内部では特任教授といっても座敷牢に入っているようなモノでした。ですからわたくしも外部にでかけて自由な空気を吸っていたものです。
わたくしに何か研究やそういうことで個人的に言われる状況を極端に警戒するような雰囲気があるのはここの研究科だけでなく、国内の近い研究分野の現役の人達とも残念ながらありました。まあ言葉は不適切かもしれませんが、村八分的といえばかなり正確にわたくしの感覚が伝わるでしょうか。
わたくしもたしかいに人が悪いので、「そんな他人が作ったような枠の中で研究をしたって、つまらないじゃないですか。あなたのような高い知性の持ち主にそんなテーマは似合わないし、もったいなさ過ぎる」などと、ついついシニカルに言ってしまう癖があるので現役の先生方に嫌われるのはしかたがないのでしょうかね。研究科や国内の同業有力研究者達から疎まれるというのはあまり言いたくないのですが、あるといった方が正直でしょう。研究会など呼ばれることは国内ではもう殆どありません。来週から12日間ドイツ、英国に行きますが4回講演します。そういう楽しみは国内では年間一回くらいとなりました。
そういうわけで、自分にとっては楽しくていたこの百万遍のラボを引き払う時期が来たのはよく分かります。
しかし、自分でも言うのなんですが、こういう日本の生命科学の歴史に残るような研究空間をこのような馬鹿げた一人の審査委員長のせいでわずかにでも残る可能性が失われたのは本当に残念です。
以下のメールの交換を、ちょっと読んでいただきますか。
 昨日、今日と先生のブログを読ませていただきました。なんとなく聞いていたとは言え、京都のラボが閉鎖になるというのを読むと、やはり寂しいというか、もったいないというか、ちょっと悲しい気分にさせられます。それと同時に、不公正な科研費審査の在り方に激しい憤りを覚えます。たとえ先生に対してどんな感情を持っていようと、それと研究業績・申請の審査は全く別物で、それを分けて考えられないのならば審査員席に座る資格は無いと思うのですが。以下略

前文、略
でも怒りを感じてもらってありがたいです。
本当にいやなヤツです。
でも研究倫理なんかぜんぶ放っても、彼がわたくしをテロ的にやっつけようという自信をもつ理由があるのですよ、東京文科省の周辺のあるタイプの学者のえらいさんの影響がたぶんあるのですよ。これまでの経過とか流れでね。
だから彼を失脚させても、私憤をはらすだけという結果になるんだよね。徒労ということにね。
ほんといやになります。

追記 以下アドレスがこのブログへのご意見のためのメールアドレスです
ikiru_sube@yahoo.co.jp,

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