久しぶりのエジンバラ、ブログを閉じる予定

エジンバラには本当に久しぶりです。前はずいぶん頻繁に来ていたのですが。
寒くかんじますが、めちゃめちゃ暑くなってと、地元の人間はTシャツ姿で言います。
こんどの会の推薦ホテルですが気持ちよいです。ただワイアレスネットの環境がすごく弱くて遅い(ただし無料)のでこのブログを書いても本当にアップロードできるかどうか、不安です。

昨日は着いてから、レスポンスの出来なかった多くの研究上のメールの返事をしたり講演準備をしたりして、夕方から旧知のCGさんと一緒に飲んで食べました。ゆったりした気分になれました。
かれの研究所のほうで今日、講演があります。こちらは沖縄のほうと京都でやったことをコンバインした細胞の寿命の話です。
ハイデルベルグでの染色体のほうは予想どおりでしたが、こちらのほうのは反響がどうか予想できません。楽しみです。

旅行をひとりですると内省的になります。
自分の研究の源泉は、ミクロ的には家庭であるにちがいないし、マクロ的には日本の生命科学をちょっとでも良くしたい,と願ってきた感情みたいなものが、原動力であったのでしょう。わたくしの場合。昭和16年うまれ、やはりなんといっても「愛国少年」のなれの果てみたいな感があります。わたくしの場合。わたくしはやはりかなり強烈に愛国的だと良く思います。ある種の日本人研究者に対してもつ激しい感情もそのあたりから来るのでしょう。よくないのですが。
しかし、具体的には研究の原動力は京大での研究にあったに違いありません。沖縄の研究の原動力も結局京大での研究にあったことが、今回は理屈でなく感情というか肉体的によく分かった気がします。それで京大ラボがトドメを刺されたわけですので、来年4月以降は苦難の日々が続くことは間違いありません。自分の研究の未来ががどうなるのかちょっと予想がつかない。
わたくしはマチスのように70才以降は天衣無縫に好き勝手やれるような研究生活を夢見ていたのですが、それもあたりまえなのでしょうが、無理だなと思いました。
沖縄の社会状況はわたくしには悲しすぎて,沖縄で楽しく研究をするというのは個人的にまったく出来ないという感があります。いついっても気がすこし滅入って帰ってきます。

もう研究者としては、おしまいかもしれないな、人生で始めて研究面で弱気を感じだしています。
それで、そういう弱気が出てきた以上、このブログを来年京大研究室閉鎖とともにというかそのだいぶ前に閉じようと決心しました。いつになるかはわかりませんが。
見苦しい姿は他人には見せたくない、これがわたくしの社会、研究上のマナーですので。

タイトルとURLをコピーしました