きょうはこれから一時間後にでかけて高校生相手の講演です。準備は整いました。あとは生徒さんたちの顔を見てどう進めるか決めます。
さいきん、来春の研究室の閉鎖を哀れんでか、京大のラボのほうに学問の神様が降臨されたようなかんじで次から次におもしろい結果がでています。このあいだまではごく普通の若者だったのに、やってるほんにん達の背中にも光背ができてきた感じです。かれらが棒か何かを一振りすると、棒の先から光る星が次々と出てきている感じです。わたくしには本当にそう見えてきています。2010年わが研究史に燦然と光る一年になりそうです。
一方で来春でわたくしの京大勤務、とうとう40年となります。正確には39年何ヶ月ということですが。それでなんというのでしょうか、最初の頃のことを思いだすような感じになっています。やはりなんでも人生、最初と最後ですね。
一例で言えば、人がすくない。最初わたくしまったくのひとりでした。まだ結婚もしてなかったので、公私ともにひとりで、筑波の教授をしているI君が一緒にやるまで公私ともにひとりでやっていました。いまはそれに比べるとずっといますが、それでも一時と比べれば
それから月給です。わたくし初任給わすれもしない、手取り5万7千円でした。米国帰りだったこともあり、また円も安かったので、うーんこれで生きていけるのか,正直思いました。
京大最後のとしわたくしも甲斐性が無くなってしまって自分の給与は自分の研究費直払いもできずよくわからないルールで決まるのですが、とうとう月額手取り8万円台となってしまいました。まあ日雇いですからね。誰が悪いのでもなく、わたくしの甲斐性の無さですが、大昔研究科長をしていた頃の給与は清盛の栄華でいまはなんですかXXX(禁止用語)さんみたいなものかな。
しかし京大でこんなに長く働けてこのうえもなくラッキーでした。まだ過去型いうには早いのですが、気分はもうそんな感じです。