桜井章一氏の本、育児のこと

天気がはっきりしません。雨だったりそれに湿気がたかく不快な天候です。草取りも水がじっとりとついていて刈り払い機がうまく使えません。
8月15日ですからもちろん終戦記念日でもありますので戦争談義や昨今の社会的な状況と組み合わせての議論がテレビで見れます。新聞は坂本の方で取っている関係で数日見ていません。やはりたとえ20分でも新聞を見る時間が無い日々を送るのはどうも具合が悪いです。
桜井章一氏の本(講談社α新書)を一冊読みました。うーん、なぜだろう、となりました。麻雀のうち手、雀鬼といわれるのだそうですが、わたくしが平素考えていたり感じていることが沢山書いてありました。ちょっと表現のしようがありません。つまり生きるうえでの考えの類似感があまりにも多いのです。何かを究めようとおもって生きて来た方なのでしょうか。究めようとすると似た考えになるのでしょうか。それとも学問をわたくしは勝負と思ってきたのか。そしてやはり負けないような生きるうえでの知恵を身につけてきたのか。

かつて秘書をしていたTさんからメール。懐かしいです。とてもかわいいお子さん二人の写真付き。
育児について書いて欲しいとのこと。こういう注文だと簡単に触れられます。
昔、子供を授かり物だと思いなさいと、と先生(わたくし)に言われたとのことでした。
言ったと思います。
遺伝的に、確率的に半分の遺伝子は自分から行くとしても残り半分は配偶者からです。つまり自分の子供は、赤の他人であった配偶者の遺伝子を半分持っているのですから、子供を自分は理解出来るに違いないと思うのは誤る可能性が高いのです。天からの授かり物、として子供と接するのがいちばん子供をかわいがりかつ尊重できるスタンスなのだと昔から思っていました。
例としていえることは、子供と自分がずいぶん違うと感じたときは、いろんな原因があるでしょう。たとえば、配偶者の魅力が異性であったから感じたのが、同じ性質が同性の子供に受け継がれるとなぜか強い反発を感じたりする人もいるのではないでしょうか。惚れた性格や人間性が、同性の子供に出たりすると心理の深層でうろたえたりするものです。
だからこどもには距離を置くこと、授かりものだとするほうがいいのです。
日本ではさっぱり今は人気のない見合い結婚も、子供とくらしているうちに配偶者の良い点などが分かるものです。異性を好きになって結婚する夫婦がかならずしも子供と幸せに暮らせないことがありうるのは、そういう異性なら引き合えるものが、同性の親子では引き合えない場合が多いのです。人間というのは,好き嫌いがあるのでしかたがないのです。
育児の根本は子供とのつきあいですが、一方で自分の子供の頃はどうしようもない性格があって、単にそれを子供が繰りかえているだけなのに、自分のことを憶えてない親は怒ったり憎んだりしますが、祖父母にあんたの子供の頃そっくりだといわれるとおさまることが多いものです。そういう点で、祖父母の存在は大きい。
病気にしても似たようなことが起きるものです。わたくしたちの子のうちのひとりはたしか三回脱臼しました。病気も色々するものです。松田医師の育児の百科はたぶん今でも十分に名著なのでしょう。わたくし赤ん坊のときに憤怒性痙攣なるものの経験者(と親に言われた)でしたので、子供の一人がそうなったときもぜんぜん驚きませんでした。これがその実物かと思ったものです。

すばらしい子供の才能が天からの授かり物があるといいですね。つまり走るのが苦手の両親から走る選手が生まれるとか。
親は目を皿にして子供の才能を見つけたいものです。ただ才能も早熟系と晩熟系があるので、焦ることはないのでしょう。子供にやる気があるようにみえれば大丈夫でしょう。きままな育児についての意見ですがなにかTさん参考になったでしょうか。

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