米国人は単細胞的か

単細胞とはわたくしが永年研究しているようないきもの,酵母とか細菌をいうのですね。
でも小沢氏が米国人には単細胞的なところがある、といったのは米国人は人間でなく単細胞という意味でいったのではまさか無くて、辞書の二番目の意味である、
考え方が一面的で単純な人,とか
物事をあまり深く考えないたちの人、
という意味だと私は推測します。
これについては世上そんな風におもうひとは、女性は感情的だと聞くと、そうそうとうなずくような人ではないでしょうか。
でも小沢氏は米国人にはそういう側面があると言ってその後で自分の持論を言いたかったのでしょう。つまり米国人の強さは、そのあたりにある、と。米国人を批判すると言うよりは話を面白くして,持論を主張したいのでしょう。でも首相候補になる直前の発言としてはたとえ数十人の聴衆でもマスコミが同席していたので、気をつけた方がいいし、それを聞いて米国人が気持ちよく思うはずがありません。
日本人は個人は弱いけれど集団は強い、といわれて喜ぶ日本人はいないし、オバマ大統領が演説でもしもそういえば、一面的と日本人は思うでしょう。
でもわたくしの様に単細胞を何十年も研究していると、つまり単細胞生物ですが、おどろくほど賢いとおもったりするし、単細胞生物のことをそんな風に単純とか深くないとか形容すればそれは間違っているといいたくなります。人間なんかよりもずっと長く地球上で10億年も行き続けてきたのですから、たかだか30万年くらいの人間様よりずっと奥深いと思うのです。神経細胞や筋肉細胞や肝臓細胞がなにをしているのか、それに比べれば酵母細胞一個のほうがはるかに複雑なことをやってのけるのです。
話がずれましたが、米国人を単細胞的といったのは、これは間違いなく失言です。雑ぱくな意見でしよう。むしろ、米国社会の多様性がうみだす人間の多様性、それが生みだす社会の複雑性は驚くべきものです。でもそれがいいとは私はかならずしも思いません。日本人はみんな協調的で一見似ていて(外国人がみたら)穏和で、単細胞とはいいませんが均一性は高いような気がするので、より単細胞生物の集団かもしれません。米国人は、筋肉細胞みたいな人もいるし、生殖細胞みたいな人も居るし、より多細胞を構成するなかの多様な生物的な気がします。まあ、どうでもいいのですが。

でも話はちがうのですが、民主党が政権をとっていら、世論から見る日本人の政治観はかんぜんなおばかさんになってしまったと、最近はつよくおもいます。でも単細胞的でなくて、むしろ正義感とかそういうものになにか重大な欠陥が生まれてきているような気がします。
沖縄での仕事日はホント忙しいので、これ以上は時間が無く書けませんが。文章も乱れ気味ですみません。

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