重要人物ひとりに進講をするのと千人の凡庸な聴衆を相手にするのでは、日本にとって危険な人物たち

いまアムステルダム、スキポールの空港にいます。広いのでよく歩きます。便を待つあいだに書きます。昨日のシンポジウム、わずか一日ですが、というか一日だからこそ、ほんとによかった。これだけの高レベルの聴衆を相手に出来る機会はそうありません。もちろん、数ではなく、重要人物ひとりに進講をするのと千人の凡庸な聴衆を相手にするのならそりゃ一人の重要人物のがずっと大切でしょ。45分も時間をもらえて、この機会を与えてもらったことに深謝。ほんとにしばらくぶりりMarc Kirschnerさんとゆっくり話す機会がもてたのもよかった。
ただHuntさんの「隠居」は残念。でもほんとに隠居出来るのか。たぶん上手に環境に適合するに違いありません。一番近い人たちが同じようなことを言っていました。

かつて池田勇人氏が首相になる前は貧乏人は麦飯を食ったらいい、というセリフを大蔵大臣としていったものだから、たぶんとんでもない首相になるという前評判でした。しかしほんとのところ池田首相は戦後の中でいちばん経済復興をなしとげ、なおかつ貧乏人にも優しい経済政策をとったのではないか、
そういうことはありがちです。それで言うと、逆にいまの菅、仙石両氏はかつて左よりだと言われたがゆえに、それを意識して潔白を主張すべく、実際は国粋的というか自国の利益を主張したがる傾向があるのではないか。そういう意味では、冒険的な政策をとって対外関係がひどく悪くなる可能性があります。これまでばかりでなく、これからがもっとも危ないのではないか。沖縄へのこのこ出かけて何を言って何をしようとするのか。
わたくしが昨今とくにいまの日本にとっていちばん危険な人物は司馬遼太郎氏の小説で述べられている考えを今の政治に応用しようとする人たちが、もっとも危険な人たちだろうと思っています。坂の上の雲というのがテレビにでていろいろ世間的な評価があるようですが、なまじの理解はけがのもとです。今の時代に変に応用したら、とんでもない結果がでるでしょう。
そもそも司馬氏の最大の欠陥は彼の明治以降の史観には「出口」がないことです。ないものだから、原爆投下されるまでの軍部を全否定ということになるのでないか、というかここのところを小説に書けずに、結局解決策も提示できずに人生を終わってしまったようです。なぜ「出口」を示せなかったのか。それは幕末、明治の過程にあった出来事で司馬氏の賞賛し称揚して読者が昂揚するところに深い問題が会ったのだと思います。そういう点でやはり出口を示せなかった点では同じですが、山本氏の方がはるかに矛盾は浅かったと思います。
出口を示せなかったのはなぜか。いまの日本を司馬氏も山本氏も予想出来なかったと言うことです。
確実な未来として予想としていたら違った書き方があったのでしょう。今の日本の状況は結果論ですが、なってみればこうなるのが必然だと思います。それで20年後といわずとも10年後の日本はどうか。それを確実に予想出来たら、また違うのでしょうが。でも司馬氏の出る幕はないでしょう。しかし、懐古的な読み方をするのなら、いいんでしょうが。そういう点、最近三島由紀夫氏の再評価があるようですが、どうなのでしょう。ただ彼はいま危険とは思いません。むしろもういっぺん読んでみること自体悪くないに違いありません。でもこれも懐古的程度にとどめた方が。
いまの日本は生き残りのためには相当なドラスティックな社会政策が必要というのがわたくしの個人的な感想です。社会教育があるいみ一番大切かとおもいます。今の世界、成功する国は社会教育をたくみに行って別なタイプの国家にもっていかないとダメでしょう。そんなことがいまの体制で出来るはずがありません。

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