改造内閣の布陣が発表されました。
わたくしは戦前生まれとはいえ戦争前の雰囲気など空気を吸ったわけでもないのですが、なんだかだんだん往時の政治状況に似てきたのでは、と感じています。昭和15年のころの世論は、日米開戦必至という意見だったのでしょう。それに抗する意見を大声でいうのは難しかったに違いありません。メディアも開戦必至ということで意見を揃えていて、国内どこもかしこも開戦はいたしかたない、欧州でも枢軸と連合国が現に戦っているではないかという論調だったに違いありません。
こんどの内閣の布陣はかつてのれっきとした左翼の江田氏のような人と、最近までいちばんの右といわれたグループに属していた与謝野氏が一緒にいてかつて市民派といわれた菅氏が首相ですから、ある意味、最近流行のことばでいうオールジャパンとか、挙国内閣のにおいを強く出しています。ふくれあがる巨額の財政赤字をなんとかせねばならぬと考える人々にとっては、ある意味戦時内閣的なものの初めというか、はしりになるのでしょう。
メディアが代表する世論なるものが一色になるときは危険という点では、いまがまさにその危険な時期なのでしょう。財政赤字への対応を最も重要とするとか、輸入輸出関税障壁をなくすことが日本が生き延びる唯一の道とか、というたぐいのスローガンがほぼ大マスコミによって一致して主張されるようになり、世論なるものはそのうちほぼ一色になるに違いありません。
昭和15年の時点で昭和20年の未曾有の大敗戦を知っていればだれも開戦などと考えないように、いまから5年後に何が起きるのか前もって分かっていれば、今やろうとしていることの相当部分はやらないでしょう。でもそれが何なのかもちろんわからないのです。何が正解なのか分からないのが、未来の予測です。
さあ、与謝野氏、江田氏、前原氏、菅氏が一緒になってやろうとする日本、いったいどこへ行くのでしょう。わたくしにはプラスチックで薄くはった挙国内閣というものが見えてきますが、かなり強いマスメディアの支援もあり、準備もないうちに開戦したように、ある時突然過激な政策が実行されようとするのではないか、という不安を感じざるを得ません。挙国一致というのは日本の場合、危険なシグナルであるに違いありません。
小沢氏が起訴されて政治の世界から消えざるを得なくなってから、次々に起こるであろうメディアと現内閣を支持する勢力がくりだす一連の予想される、政策とか、政治的な出来事にかなりな不安を感じています。