沖縄にきています。こちらでの仕事は基本的に椅子に座ってえんえん研究のことを考えるか、文章を書いているか、それといちばん長い部分の研究の話をするので、運動不足であること著しい。ただ4月からはいまのように集中的に働くのでなくなるので、運動不足という不健康な滞在ではなくなるでしょう。ともあれながいながい午前の時間が終わっていまちょっと休憩中。
相撲のこと書き出すときりがありません。わたくし子供の時に相撲をやったので強い思い入れがあるのでしょう。ちゃんとした土俵で、まわしもしめて、やった後は、お風呂にまで入れてくれた、おじさんが子供たちを集めてやっていたのでした。どれくらいの期間やったのか、記憶が定かでないのですが、1年以上はせっせといったように思います。二枚蹴りの技がすきでよくかけようとしました、それで栃錦が大好きになったのでした。
わたくしが相撲に「甘い」のはたしかですが、じゃいまの相撲どうしたらいいのか、あんまり意見ありません。朝青龍は好きではなかったけれどもいまの横綱の白鳳はすごくいいと思っています。それだけで安心です。やはり横綱がよくないと。相撲の改革とかいいますがなまじのことは言えないでしょう。ただ、文部科学省の管轄であるいじょう、倫理的な点で非常にうるさくなるのも当然でしょう。利益をあげる株式会社にはなじまないとおもいますが、しかし一方で相撲の勝負を極端に不正防止でばかりみたら、つまらないとおもいます。やはり幕内に個性的な相撲取りが沢山いればいいじゃないかと思うのです。外国勢も増えて、いろいろ個性があって、わたくしはとてもいいと思っていたのですが。八百長はマンネリの十両から落ちたくない関取が多くやっているので、十両と幕下の極端な給料の差を解消するのも一案かなと思っていました。
学問の世界でも、もちつもたれつ、互助協会のように助け合っている中ボス、小ボスがいるものです。手口は見え見えなのですが、ほんにん達はせっせとせっせと互助にいそしんでいます。今回の八百長の話でもずっとしたの三段目あたりがあちこちいったり来たりしていたとかで、誰もが知っている互助関係だったのでしょう。学問の互助も別に不正行為ではないので、誰かの点を高めにつけるとか、論文のレフェリーも難しいことをいわないとか、そういうことなので、やはり不正の範疇には入らないのですね。でも互助のことは間違いありません。それに対して、友人でなくて、自分の論文を引用してなかったりすると、ものすごくきつく批評するとか、フェアーと不正のあいだにはたくさんの色んな段階の人間模様があるんですね。相撲の勝負もいろいろ人間模様があってしかるべきでしょう。このあいだまで因縁の勝負なんていうのも結構ありましたね。ああいうのは見る分にはおもしろい。