きのう話題にした亀井元大臣ですが、このかたの連合赤軍的な民主党執行部というのは意外に世間の反発を買ってないようですね。人徳ですかね。激しく怒る人が民主党執行部にいるかと思ったのですが、あんがいホントと自分たちも思っているのでしょうか。まあ内ゲバの一種、クーデターで乗っ取った民主党執行部ですから、そういわれてもしかたないのでしょうか。
それで今回亀井氏となんか意見が近かったので、彼とは意見の異なる死刑廃止論について考えてみたいものです。
亀井氏はかなり有名な死刑廃止論者のはずです。ただ詳細に彼の意見を聞いたことはありません。
わたくしはあんまりちゃんと考えたことはありませんが、死刑肯定のほうです。理由は被害者、被害関係者の素朴な復讐心を認めてるのです。でも気合いをいれて考えとことはありません。
学術的にいうと、意見はあるが理由があれば変えることはありうるくらいの程度の意見です。
死刑というのは、日本では二人以上殺すと可能性が高くなるようです。死刑が一審でもいわれればたしか拘置所にいれられて懲役もなにもせずにずっとそこにいるようです。死刑執行まで。懲役を死ぬまでやるはずの無期懲役とは大違いです。日本の無期懲役が評判がよくないのは、10年とか15年とかで出所するケースが多いし、その裁量は裁判官にまかせられているのらしいです。だから本当の死ぬまで懲役というのは本当に無いようです。
そういうことを考慮すると、死刑に傾く意見もあるような気がしますが、亀井氏のようなかたが死刑反対になるのは、死刑をしてもそれは結局むなしいということなのかもしれません。死刑囚を何人もみれば死刑で罪が消えるわけでもなく、またそれで十分な謝罪をしたことになるのでもない、死刑に値する犯罪をした人間を死ぬまで生かしておくほうがより大きな意味があるのではないか、そういう意見のような気がします。わたくしも、そういわれると、死による懲罰というものの意味を考えてしまいます。例えば25才で殺人をして、30才で裁判で死刑をうけてすぐに執行されればその人物は世の中から消えるのですが、もしもその後60年間懲役をして90才まで無期懲役という刑をうけ、人物として存在したほうが、犯罪の意義と懲罰の意義も残るのではないか、という気がしないでもありません。よく誤審があるから死刑はいけないといいますが、誤審は死刑でなくともいけないので、誤審を理由に死刑反対は言いたくありません。
でも真に無期限の懲役は死刑よりも罰としてより重いし、より意義があるのかもしれない。贖罪の意味も深く理解出来るのかもしれない。
亀井氏の連合赤軍発言はわたくしにとって氏の持論である死刑廃止論をいちど真面目に聞いてみたいという気にさせました。死刑が無くなれば犯罪率が高まるというのがありますが、本当に死ぬまで懲役ということの大変さが分かれば帰って犯罪率が下がるとも思われます。もしくは米国であるように刑を加算して、懲役100年とか200年とかそうすれば刑が短縮してもなかなか出所できないでしょう。一人殺人をすれば懲役50年が上限とすれば、ふたりで100年が上限となる。そういう有期刑というか定量法がいいのかもしれません。