きょうは朝は引っ越しにともなうもろもろのことへのいくつかの対応。もちろん引っ越し作業そのものも。でも段々楽観的になってます。つまりなんとかなる。なんとかなる。こういうことです。呪文的なところがまだ不安が残ってるところの証拠。
昼に、沖縄での共同研究の打ち合わせ。ご一緒に食事。久しぶりに、時計台のLa Tourで。でも全員(4人とも)いちばん単純な安価なメニューを頼むとは。でも打ち合わせ自体は,非常にスムースにいきました。よくよく話が分かると思ったら、なるほど名古屋の理学部のE先生のところのかた、それとTK大の出身とのこと。やはり出自はあらそえない。
午後3時から、GtCの編集委員会。東山7条にある昔はパークホテルといって、いまはハイアットというホテルが会場でした。約30人の編集委員の皆様があつまり極めて有意義な(わたくしにとっても)意見の交換ができた会合でした。こういう会で、いつも娑婆の空気を吸えるのが楽しみです。
なんとなく世の中の変化のいぶきを感じるのです。
でも宿題が沢山できて、どうしたもんだろうか、という感もありました。
編集室の三人にとってもこういう会で一年の仕事の意義もみえてまた勤労意欲も湧くはずで、とても有意義でした。また色んな意見があり、こういうジャーナルの歴史的意義も見えてきています。
またいろいろと皆さんの思いやりというか、友情というか、嬉しく思うことが多々ありました。
例の米国の日本部長の暴言ですが、もうすこしうえの地位の人が
メア氏発言:米政府、公式謝罪 国務次官補「心から表明」との見出しにあるとおりもうすこし踏み込んだ謝罪をしました。しかし、発言氏が職に止まる限り、謝罪をしたことにならないでしょう。新聞は沖縄を侮辱したとのみ言うが、実際には、日本人の和をもって尊しとする、和はゆすりの手段とまでいったようです。なんでそんなことを言うのか。日本という国を全面的に否定した発言でこれほどの根底的な侮辱発言はこの60年間聞いたことがありません。これがさらっと当たり前のように出てきた背景を日本人は深く考える必要があるな、と思います。米国人の差別意識は根が非常に深い。この人だけの個人的な特有の考えと思わないほうがいい。なぜそう思われるのか、わたくしにはわかりませんが、ぜひ米国人のメンタリティーに基づいて知りたいものです。