世界大戦以来、東電はこれでいいのか、マスコミは変わる、危機をなぜ認めないのか、津波は天罰か

12時40分記
世界中のだれもが今の日本は世界大戦敗北以来の大苦境に陥っていると見ているでしょう。しかしその割りに市民たち(国民たち)が実に我慢強く、静かに整然とこの苦境に耐えているこちに感心している人たちが多いことは間違いありません。また深甚な同情と善意がわきおこっていることも間違いありません。
問題はわたくしたちが直近の未来ともうすこし先の未来をどう考えるかです。
まず東電をどう考えるかです。いまや東電に振り回される生活をどう考えるかです。東電はもちろん政府の支配下にあるといってもあまり間違いでないので、いまのように突然お上が何十万の人に避難せよと命令し、何百万一千万の人たちの生活の元である交通や水やエネルギーを朝令暮改的に命令するこのシステムを直近の未来として甘受するべきなのか、どうかです。
きょうも水素爆発があらたにあったとの報道です。でも同時に安全、安全という見出しが付いています。
原子力工学系の学者がしたり顔に大丈夫、大丈夫と安心を連呼する一種の情報乗っ取りをいつまでも許していいのかです。そもそも今回の爆発が可能になったのもいやがる電力会社がしぶしぶ安全弁を後でつけたからだと、今日の新聞にありました。いまや、多様な意見がなければいけないときに,すべてのチャンネルが一様の一色の色づけで情報がが流されていいのかです。
いまのところ、日経の見出しに独自性が感じられますが、かつての左翼や環境主義者に相当するあたりからの意見がまったくないのがいまの日本の特徴です。
すこし、先の未来になれば問題が多すぎるくらいです。しかし、それだって死者の数に圧倒されながらもいま考え、かつ確固たる教訓を得なければいけない時期です。
世界の同情が軽侮になるおそれはまったくないわけでもありません。日本にはあまりにもひどい統治システムしかないことが世界に見えたら、そのようになる恐れがあります。
フランスでは既に自国の人々に東日本にはなるべく行かない、原発近辺のひとは移ることを強くいっています。このあたりが常識判断でしょう。100キロ先でも検出されているのです。それをたいしたことない、と強弁してはいけません。深刻な事態です。
政府は変わりようがないことはハッキリしています。だから、マスコミの責任は本当に重大です。でもマスコミは変わると言うか、変わりうるとわたくしは確信します。被災現場がマスコミ諸氏を教育するはずです。ボトムから被災の奥底から行政を見る人たちがでてくるはずです。

14時50分記
首都圏での放射能測定をしているのでしょうか。福島原発近辺の人口密度とは桁が違う人たちが住んでいます。20キロ以内だけが家屋内退避といわれていますが、50キロ、100キロ離れたらどう放射能値が異なるのか、政府は報告する義務があるのにしません。いたずらにパニックを起こさないという理由なら国民をなめているとしか言えません。情報開示こそが一番大切です。マスクをしろとか、屋内にいろとか、命令は大好きですが、なぜそうなのかどこならする必要があるか、の根拠をあかす気持ちがないようです。なんとかしないと本当にいけません。弁護士や政治家が科学技術者に一日でなれるはずがありません。

16時15分記
ワシントンポスト紙は「日本は、想定外の自然の猛威にさらされ、技術的危機に直面している」と書いているそうですが、まったくその通り、なぜそれを日本政府は素直に認めて国民にもっと寄り添って,大きな危機下にあると伝えるべきなのです。
とうとう三番目の原発も怪しくなってきました。二番目の爆発の写真もすごいですが、それでも炉の容器そのものは健全だと言い張る政府は本当におかしい。
三番目の爆発がおきてもなおかつ、すべてが健全と言い張るのでしょうか
なぜ想定外の自然の猛威にさらされ、技術的危機に直面している、と言えないのでしょうか。聞いても誰も怒らないし、そのほうが民間から知恵が上がってくるでしょう。
もういいかげんにしてほしいとほんとおもいます。

17時10分記
在米のDさんというかつてわたくしの講義も聞いた方から親切なメールがありました。
わたくしが色々ぶつぶつ文句を言ってる疑問が解ける場所があるとのこと。
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=752
行ってみると確かにその通り。きちんとした説明があります。
なるほど関係者のあいだでは詳しい議論がリアルタイムで進行中のことが分かりました。
女川発電所は100キロ離れているのですがここで検出されたのは福島由来と考えられることもその後の議論の中で出てきていて論じられているようでした。
ただ物理的にはここに書いてある通りなのかもしれませんが、被曝者的な感覚で言えば、自分が非常に感受性が高いのではないかという恐れをもっているとここでこともなげに大丈夫といわれれても本当に大丈夫か、という疑念はすこし残ります。乳がん検査のマンモグラフィーで乳がんになってしまう人がどの程度いるのかというのと似た問題になるのですが。
それになんとなく、楽観的すぎるトーンを個人的に感じて、すこし時間がたつと、健全、健全と連呼していた炉容器が急速に劣化してくるのではないか、あの爆発はただ事ではない、という感があります。まあしかし、悪いことを願っているのではなく、単に心配しているだけですが。

22時25分記
引っ越し用の荷物はわたくしの場合、ほとんどが書類ですがそれでも、廃棄、沖縄、編集室、自宅の4種類に分類しなければなりません。いま一室に廃棄になる書類や書籍などを集めていますがすごい量です。
石原東京知事は津波は天罰といったらしいです。死んだ人に天罰という意味でなくいまの日本の風潮に対する意味のようですが、なかなかすんなりは頭に入らないです。でもこの災厄は国家にとってどのような意義になっていくのか、色んなひとが色んなことをいうのでしょうが、わたくしは海辺でおきたこと、家族のきずなが、海という平素はおだやかなものによって破壊されたことの歴史的意味はおいおい明らかになっていくのだとおもいます。
わたくしは敗戦の時4才の童子でしたが、ときおりその頃の時の気持ちのまま、その頃の衝動のままにいまも生きているような気分になることがあります。いちど整理してゆっくり考えてみたいのですが。この震災と津波に遭遇した子供たちが何を考えるか、そこに意義があると思いたいのですね。やはり。子供は大人の顔や言葉を聞き育つので、子供がわれわれを見ている、これを大人の言葉にしたいですね。

タイトルとURLをコピーしました