6時34分記
きょうはまず比良の家にいって、昨日夕方ラボから運んだものを置いてきて,その足で京大ラボに向かい、編集室長への引っ越しをします。京大に拠点がないので場合によっては研究上の議論も共同研究者としたい。そういう場所です。引っ越しにあたって驚いたのは入口で、狭くてなおかつ急角度で曲がっている、持ち運べる家具は限定されている。この引っ越しは手作りです。残ったラボメンバーと妻も動員します。一部屋ですから持ち込めるものは限度があります。二階への階段がすごく狭く、危ないので皆さんに気をつけてもらわないと。夕方に沖縄に向かいます。夜遅く富着のホテルに着いて、明日会合などこなす必要があります。この間、追い詰められている論文ふたつの最後の詰めをするのですが、当然ながら遅れに遅れです。しかし、修羅場でもずっと孤独に論文を書いてきた老兵(わたくしのことです)ですから、そのあたりは、フツーにこなせています。ただ、遅れているだけです。ありがたいことに、いまでも論文のネタを作ってくれる若者が,有能な若者がいるのです。幸運な老兵です。
米軍は米兵に原発80キロ立ち入り「禁止」とのこと。112キロ以内はかならずヨー素剤を使うこととあります。英外務省は東京と東京北部からの英国人の退避を勧告したとあります。フランスは帰国命令ですからもっと厳しい。
日本政府も、もしも同様なことがヨーロッパのどこかドイツやフランス、イタリーなどで起きれば同様の処置をとるでしょう。お互いさまです。
もしかして、この3月11日は戦後極端に進行した東京の一極集中に終わりをつげるの日だったのかもしれません。
公開資料ですが、原発x号器を設計した人のこの数日間の状況下での意見や感想を書いたものを読む機会がありました。内容について論じる時間が無いのですが、このかたの意見は、だいたい最長一年くらいひたすら水をかけるというものです。この6つの原発全部ではないかもしれませんが。一つかけるだけでも決死の覚悟らしいのにです。最低1ヶ月は水をかけ続けるのです。それで原発が決壊というか制御不能になるのは1%の確率とあります。設計者の意見がこれでは、在京のお金と余裕のある外国人はみな東京から去るでしょう。首都圏と北部にいる2500万人の日本人とその家族たちにとっては深刻な事態です。特にこれから成長せねばならぬ子供たち。
8時45分記
怖い顔をした米国の統治者たちが日本の統治者に向かって、ドスをきかして、「微量、安全を連呼して日本国民を催眠にかけている専門家連中をマスコミから排除しなさい」、「一刻もはやくチェルノブイリを想定したファイナルな対策に移りなさい」こういってもらう以外にいまの緊急の解決策はないでしょう。これが私見です。米国大使館の人がこれを読んでいるのなら、日本国民のすくなくとも一人はそう確信している、ということです。いまや外圧しか解決策はないでしょう。残念ながらそれが目の前に見えてくるわたくしの感想です。
14時20分記
朝、坂本から北に向かうと途中事故車で渋滞、そのうちすごい雪のふりかた、比良についたころは激しい降雪、しんぱいでしたがなんとか車ごと新雪を登って家までたどりつきました。離れに運ぶのをあきらめ玄関内にいれて、すぐ車はバックのままで坂をおりて、国道にでて,京都に向かいました。坂本はもう雪もなく、百万遍のラボには11時半について、それからこれまでのオフィスに会ったものの一部を新オフィスに移動。昼食、またラボにもどりもう一度自宅に持ち帰るものを車に入れてこれで、一段落、妻も帰宅しました。わたくしは夜の関空で沖縄に行くのでガランとしたオフィスで仕事。ラボの皆さんは引っ越しの続きをしました。
NYTをみると、日本政府と米国政府のこの原発への見方が著しくちがう、という記事がありました。
http://www.nytimes.com/2011/03/17/world/asia/17nuclear.html?hp
詳しく読む時間はありませんが、そうだろうな,と思います。どちらが正しいのかは時間がたって分かるのでしょうか。どちらが正しいのか以前に、日本の原発作業者他の国ならやらないやれないような危険な作業をやってしむので、そのあたりの違いも判断に違いを生むかもしれません。
深く考えるといやになるので、あまり考えないようにして、研究にもどります。