津波被害の町々をいかに復興するか、確信する錯覚、視力の改善

けさまだ明け方に目をさましてしまったので、寝ながら、しばし津波被害を受けた町々は復興をどうするのか、考えてみました。気仙沼とか宮古とか訪れたことはなくとも漁業の町として著名ですが、他に沢山の町々が想像を絶する津波で大きな打撃を受けました。津波被害を受けたところには家を建てないのか、それとも建てるのか、自分が住民の一人ならどう意見をいうか。それを考えたのですが、どうどうめぐりで結論がでにくいのです。建てないとするといまの町の中、相当に広い場所になにも無いことになります。建てるなら、やはり避難場所のある5階とか6階建てでないと、しかも堅牢なものでないと駄目なのではないかと思いますが、費用的にも難しいだろうし建物は倒れなくてもまた津波がくれば、部屋の中はメチャメチャになるだろうから、建てるのも建てないのも両方かなりつらい。防波堤はこんかいほとんど役立たないとのことで、これにお金を注ぐのはもう駄目なのではないか。結局平地に町を作るのでなく、海から急傾斜で山際になるところに町を作り直すと言うことになるのでしょうか。しかし、ほんとにどうしたものでしょう。

昔話のネタも考えていたのですが、こんどのことで忘れてしまいました。
やはり古い写真がときどき書類の束の中で見つかるとつい手がとまりました。古ければ古いほど記憶がより鮮明に戻るような気がするのです(錯覚とおもうのですが)。その時の若者たちももう60才を越えているのです。まじまじを見ているとその時代のことも想い出せるような気がするのです(これも錯覚なのでしょうが)。いまと何が違うのか。理由もなく信じ込んでいたのでしょう。欧州のひとは地震がない、だから大地は揺れないと確信するように、わたくしたちも学問の価値は不滅だし、ここでずっと続けていけると思い込んでいたのです。もちろん諸般のとくに就職難はもちろんありましたが、それは小さい問題と思い込んでいたのです。大きな問題はなにを研究するか、なにがやるべき問題かを考えていたのです。いまでは何をやるべきかなんて、研究費の枠で制限されて、自由度は著しく低いとおもう(これも錯覚でしょうが)時代なのでしょう。こういうとてつもない津波がやって来てそれまで築いてきた人々のすべてを壊し持ち去っていってしまう、そういう出来事の直後ではなにかを確固としてしんじることがとても難しいのでしょう。
ところで沖縄に就職にあたって、健康診断書を出せと言うことで昨日近くの病院で健康診断を受けました。そこで視力の検査を受けたのですが、あの丸いののどこかが空いていますね、なんと眼鏡無しで1.2が軽く達成してしまいました。老眼は間違いないとしても、遠くはよく見えるのです。加齢で視力が著しく改善されたのです。ちょっと気をよくして、しばらく上機嫌で家に戻りました。

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