東北地方から北関東にかけての大被害についてですが、被害地はあまりにも広大でそれに東京の浦安のようなところもいれると日本の半分くらいが大きな被害にあったという印象です。
それで福島県の被害のある一点だけに絞って書いてみたいです。
それは東電と福島県の関係です。原発の被害は特にこの福島県で深刻です。風評なるものも含めて福島県人は大変な関心を持っているでしょう。
チェルノブイリにはならなくとも福島の名前は世界に轟いてしまいました。これは県人にとって大変不本意でしょう。自然がうつくしく住みやすいイメージの福島がこの原発事故でいっぺんに崩れたと思う県民が多いでしょう。このネガティブイメージは今後長期にわたって残るかもしれません。
実際に原発を受け入れたのは浜通りの双葉町というところです。6基も受け入れたのですから、相当なお金が町に入ってことは確かでしょう。国家的に受け入れるという側面と、地元からみてgive and takeという側面もあるでしょう。関西でも福井に原発の銀座と言われているところがありますが、相当なお金が使われていることは確かです。今回のようなことがあれば、双葉町はどうするでしょう、そもそも福島県はどうするでしょう。
このような事故をおこした東電に対する怒りも深いでしょう。
社長が謝罪に訪れようとしても,断ったと知事がいっているという記事を見ました。
そうでしょう。でもこれからどうするか。すぐは決められないかもしれませんが、子々孫々に影響のあることです、原発立地を今後も提供するか、それとも、どうするかです。
東京という名前の電力会社が、200キロも離れたところで電気を作った送って来るのは、他のところでは作れなかったからでしょう。東電が万全な策を練っていれば、地震と津波どまりの被害でいま頃はその対策に没頭すればよかったのに、東電のせいでとんでもないことになった、県全体、近隣兼や首都圏にとっても大きな影響がでます。
それで思いだすのは、浜通りではありませんが同じ福島県の会津が戊辰戦争で大変な目に会ったことです。この日本の内乱で長州や薩摩の兵がありとあらゆる残虐な行為をして指揮官も会津の人々を同じ国のひとのようには扱わず、とうてい信じられないような残虐行為を指揮したのです。戦争後も会津の人々が受けた仕打ちは本当に酷いものでした。わたくしは山口県の萩は大好きな町ですが、こんなうつくしい町の人々が会津に出かけてなんであんな酷いことをしまくったのか、と不可解な気分に襲われたことは事実です。会津の人々が山口県となかなか和解しないのも当然です。
戊辰戦争は明治の初めで100年以上前です。それが、これだけの時間を経過して、今回は東電という企業と対峙することになってしまいました。
時代も内容もみかけまったく違いますが、しかし奥深いところとつながるものがあることを感じます。
わたくしは、がんばれ福島と大声でいいたいです。