昨日は賑やかに一日が過ぎたのでブログも書くのを忘れてしまいました。
子供のもつ迫力というかエネルギーにあたったというか、負けたというか、そんな感じです。
上の二人は小学生になったし、下の二人は人として個性が出始めたというところでしょうか。見ているだけでおもしろい。
毎日つきあう親はたいへん。わたくしもそういう時代は30年以上前に過ごして、いまは上澄み部分だけを観察したりしています。ただ妻はいまだに一線に立って朝から晩までがんばっていました。えらいもんです。日本中どこでもお祖母さんはたいへんだし、大抵は一線にたっているわけです。
なるほど男のほとんどはこういう面では役立たずで無為な存在だなとおもうわけです。
そうなるとなんのために年寄りの男は存在意義があるのか、金を稼いでればいいというわけでもないでしょうし、家庭の中での存在も、いてもいなくても大差ない、これじゃいけません。
わたくしのテンポラルな仮説は、お祖母さんをサポートすること、それもはっきり目立つのではなく、祖父さんが死んだら祖母さんが顕著に元気をなくすそういうあとになると分かる存在、まあそういうところなのでしょうか。死んだらお祖母さんが元気になる、そういうタイプの祖父さんはまあこの世にいる意味が周囲に認められてないのですね。わたくしにとっても実の祖父は二人居ましたが、存在感が希薄でした。でもふたりとも祖母が死んでもまだ生きていたので、ちょっと。
小佐古氏というかた、東大教授で内閣府のなんというのですか原子力関係の参与というのですか、このかたが涙の記者会見をして、子供に許容する年間20ミリシーベルト被爆基準は極端に高すぎる、そして政府の放射能安全対策はゆきあたりばったりだと強い批判とのことでした。批判としてはごく真っ当なのでしょうが、参与を辞任するといういきさつは、よくわからずたぶん抗議の辞任なのでしょうか。辞任会見にいたる前の経緯はあるに違いありませんが、それはわからない。
政府の対応は木で鼻をくくったようなもので、見解の相違である、より重要な安全委員会の安全という結論で政府の見解は定まっているとかいうものでした。実名のかた対何人かの委員会という集団のかつ匿名の意見の対立なので、意見をたたかわせることもできないのでしょうか。
小佐古氏をバックする世の中の学識経験者もいるはずなのですが、マスコミはみずからの能力で調査し見解を発表する意慾も能力も無いようです。
マスコミが調査報道の任務を放棄している以上、最近そういうことがやたらに多いと思うのですが、日本のなかの意志決定はとても難しい状況になってきています。それでやたらに世論調査ばかりやっているので、情報がわからない国民が漠然とした意見をだすと、それが何パーセントとかいう数値でまるで世の中の意見かのように出てくるのです。たぶんこの小佐古氏の意見と政府の意見のどちらが正しいかそういう世論調査に血道をあげるのがいまの大マスコミで、ほんとうはみずからのおつむとその能力で調査しとりあえず意見のばらつきも報道しつつ、報道者ご自身の判断も国民に提示して欲しいのですね。
そして、それが誤ったときには後にそのあたりの理由の報道もして欲しい、それで国民の情報理解の成熟度は一挙に増すでしょうに。
きょうは連休のはざまですが、研究の話し合いがあるので出かけます。
追記
米国の医師団が日本政府の子供に対する許容基準を20ミリシーベルトにしたのは「不当」であるという声明を出したそうです。共同通信。
声明でははっきりこのような基準は200人の子供にひとり癌患者がでる可能性が高く、2年も続けば100人にひとりとなるというのだそうです。
専門家の判断ですから日本政府は尊重すべきです。尊重しないのなら理由を言う必要があるでしょう。
わたくしは今の政府の安全基準はばくぜんと100人にひとりの放射能被爆被害者(たとえば癌患者)がでるくらいなら、まあ安全と言っていいのではないか、という判断なのだろうとだいぶ前から思っていました。そういう政府御用達のかた達に文句を激しくいえる資格があるのは専門家集団なので、やっと米国の医師団が言ってくれたので心底ほっとしています。