梅雨時の沖縄、日本の社会の落とし穴、リーダーが育たない理由

守秘する必要の書類作成中。時間がかかりますが、やらねばなりません。

お昼のお弁当、いつもよりずっとおいしいので、値段を聞いたらなるほど味に比例してか、ずっといつもより上でした。
外国人のひとが作って、売っているとか。

今朝は激しい雨でしたが、9時近くにあがりました。てくてく歩き、途中で雨に降られるかと思いましたが、無事つきました。湿気はあるが暑くもなく寒くもなく、いい具合です。
梅雨時の沖縄を始めてじっくり経験する感じです。

日本のことを熟知しているカーティス教授が、日本の社会というのはしっかりしているので、政治家リーダーは甘えてしまう傾向がつよいと政治家トップに苦言を呈したとの朝日のニュース、まあその通りで、これはかなり昔からそうなのではないでしょうか。
何も政治家にかぎらずほとんど日本の社会のすべてのいわゆる上層と普通のあいだで起きていることではないでしょうか。
その理由のひとつは、形式上のトップに色んな役割を与えてしまっているので、いざ危機というときに社会が機能しなくなる傾向があるのだとおもいます。
書類づくりなどでも、責任者という欄になるべく高位の職の姓名をしるしがちですが、実際にはご本人jはなにも分かってないことが社会のありとあらゆるところであります。
それで勘違いリーダーがでてくると、知識も経験もないのに口をだしてひどいことが起こる、もしくは誰が決めるのか分からないので、決定が遅れに遅れる。こういうことが国中で起こりやすい。
東電のやっていることのおかしな部分はたいていこのようなところからくるのだと思います。ただ東電もそのあたり日本の他の組織とおなじで隠そうとするので、世間の反発を買う。
政治のほうは隠すのが上手な人種の集団ですし、それにマスコミも隠すのを手助けしたりしているらしいです。
なにか例の民主党のえらいさんのフィリピンでのゴルフは二日間連チャンだったことがばれたのですが、もうやめてしまったので、知らんといってるらしいです。残り二人もゴルフ三昧とか。本来の姿ががこういう人たちなのでしょうね。日本にとってはこういう人も含めて社会の上層にいかに真の実力ある人々を置くか、いちばんの課題だし、また形式だけの責任をなるべく早く実質の責任にしないとリーダーは育たないのではないでしょうか

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