最近、日本のおかれた「国難」のことを書かなくなったのは非常に気が重いからです。
でも今日は6月11日です。大地震、津波、そして福島原発メルトダウン事故がおきた日から3ヶ月です。
一つの区切り、重い気持ちをなんとか持ち上げて書かねばならないのでしょう。
地震については多くのことが書かれ、しゃべられ、地震(予知)学が国家行政の枢要な位置を占めていました。しかし、津波はごく少数の地元民と専門家以外には忘れられていました。日本のすべての原発がなぜか理由開示無しに海岸に立地することからも、ぜったいに忘れてはいけないはずの原発技術者もほとんど忘れていたようです。いっぽうで決して忘れれてはいなかった津波経験地域はありました。だから盤石とはいえぬまでも相当な対応があったのでした。しかしそれらは脆くも壊れてしまったのです。国家的な対応が無かったからに違いありません。
2万数千人の死者をもたらした東日本大震災の大半は津波に飲まれたのでした。津波さえなければ今回の地震の災害ははるかに小さなものとして記憶されたでしょうに。津波、50年のオーダーですらチリ地震津波がありました、100年のオーダーでも明治の津波がありました、数百年や千年のオーダーなら一段と大規模な貞観のような津波があったでしょうに、平成20年代の日本はそのようなものに前もって注意深く対応できるほどの余裕がありませんでした。首都圏機能の代替え議論すら許されなくなっているのです。一極集中の「効率化」は誇られこそすれ、不安をかたることは馬鹿げたことだったのです。
2011年3月11日、巨大津波、日本国民は決して忘れてはならないことです。
しかし、remember pearl harbor,真珠湾を忘れるな、で結束した米国と異なり、自然からの甚大な「奇襲」にあった日本は闘うべき相手が見つからないようです。復興が闘う相手なのでしょうか。いま災害の被害者を助けることが、すべてに優先することでしょう。その次に復興でしょうか。でも、本当はどんな津波ができても大丈夫な制度や町づくりを計画してそれにそって復興することではないでしょうか。よくわからない、でもまず戦争の時のように、戦火の被害にあった国民の生命と財産を守る、かれらに未来への希望を持てるようにする、そういう方向への復興なのでしょうか。
混乱の理由の一つは津波とほぼ同時におきた福島原発の甚大な事故、これは自然ではなくて人工物からの甚大な「奇襲」にあったことが、日本を混乱に陥れている最大の原因でしょう。
わたくしもある時期から発言しなくなったのも、この原子力の世界のおどろくべき知的退廃、嘘をへいきで学者がいう、それを相手にする徒労感でした。まさか無知にもとづく発言ではなく、嘘だろうとおもうような目を疑う言動がマスコミ全体を覆うのを見たときに、平成23年と昭和17年頃の報道は非常ににているのではないか、とわたくしなりに勝手におもって、片手間や時間の空いたときにするような発言ではまったく対処できないと、思ったからでした。
原発廃止かどうかわたくしなりによく考えて態度を決めたい、そういう気持ちもあります。
わたくしは時間がたてばおのずと国論は定まってくると思っています。福島原発が生きたモニュメントとして、危険な動的保存物としてこれから10年以上はすくなくともあるでしょうから、人々の気持ちが原発廃止に向かうのは間違いないと思うのです。ただありとあらゆる意図的なキャンペーンが行われるでしょうから、紆余曲折はあるに違いありません。
東京一極集中も外国人が東京に来なくなれば自然に淘汰されていくでしょう。東京での大事な会合やビジネスに来なくなれば別の都市が出てくるのは当然です。福島原発が日本の未来を左右する壮大なモニュメントであることは間違いありません。
いやがおうもなく、リメンバー大津波、リメンバー福島原発、の三ヶ月でした。
しかし、津波の痕跡が消えたときに、どのような町々があたらしくでてくるのか、いまのところまったく国民的コンセンサスはなく、地元では何らかのコンセンサスはあるのでしょうが、それがどの程度のタイムスパンで考え抜かれたのか、どれほど良い案なのか、わたくしにはまったく分かりません。
国家がどのようなエネルギーに依存していくのか、原発をやめるとしたら代わりに何を、使うのか。走りながら考えるのでしょうが、方向性をはっきりする必要があるのでしょう。過去に原発に極めて悲観的であったごくごく少数の研究者、技術者が代替えエネルギーには非常に楽観的であった、そのような世間から忘れ去られた少数の研究者のいうとおりに時代の方向性は向かっているようにわたくしには思えます。それと、節電。エネルギーを節約することが国家的努力目標になるのは江戸時代に回帰するような気もしますがいいことに違いありません。ただ、非国民ということばで違反者を非難するのは日本が陥りがちな国の癖のようなものです。
いまでも避難民をおもいやればそんなことはできないはずという言動が多いのです。かつての戦地の兵隊さんのことを考えなさいありました。
結局、三ヶ月たって、福島原発が日本と世界の人々に生きた教科書としてこれからどう生きていくべきかの指針となるのだろうとはっきりしてきたのです。