梅雨明けの大快晴がつづきます。
昨夜、東京から息子夫婦が週末だけですが、遊びに来ました。やはり沖縄にくるといいらしいです。
この家も気に入ったようで。孫娘もしばらくすると大変げんきになりました。
今朝は水族館にいきましたがわたくしはパス。書類と格闘しています。
飽きてニュースをみると、福島原発の浄化処理があっというまに止まってしまったようです。予想をはるかに超える放射能量が吸着したのでしょう。要するにものすごい量の放射能物質が溜まるので、汚染した水を純化して循環させるのは思いのほか大変なのだという、これも核燃料がだだ漏れに漏れてしまったという考えにたてば当然な結果なのではないか、と思ってしまうのです。なぜこうも頼りないのか、東電がなぜ頼りないのかは、銀行などにありがちな国内純良会社でも荒波にもまれない庇護下の企業だったからでしょう。国際的には極端なウブ、というかどう振る舞っていいかもわからないのでしょう。本当はこの原発処理も一級の人材を揃えた国際チームでやればまったく違った結果にというか、日本全体の評価も随分違っていたと思うのですが、言ってもしかたありません。
東電は、むかしというか1950年の頃に電力の鬼といわれて松永安左右衛門(字がちがうかな)氏がむりやり作った人工会社、国策会社で企業の歴史などさかのぼったら政府との関係しか見えてこないでしょう。たしか財界、政界に影響力のあった木川田隆というかたが率いた時期がながく、国策会社ということばでほとんどなにもかも説明できてしまうのでしょう。
いっぽうで東京大学の原子力工学科は1960年に創設されたということで、わたくしが大学に入った頃にできたのです。ひどい話ですが、原子力の連中はアホだが、原子核はずっと賢い、と学生時代にきいてまた物理系の連中はあたまの善し悪しだけで人を判断する悪癖と記憶したものです。ただ、力はアホで、核は賢いというのは、冗談というか笑ってしまう面もあるのです。ところがこのようなたとえは案外影響力があって、賢いと思われたい若者に原子力工学はたいへん不人気で、原発立地がみな不便だったこともあり、成績のいい学生が行きたがらないこととなりました。それでもう90年代にはシステム量子工学なるものに衣替えしてしまいました。量子もシステムも賢く聞こえるからでしょうか。そのご、原子力はさっぱり大学内ではキーワードにならなくなって、消えたようになっていたのが事実でしょう。ですから、東電が世界一級の国際レスキュー組織を作ってこの原発の事故に対応するなどは、色んな意味で無理、つまり国内人材がいないからかれらとつながる国際人材のパイプがないのでしょう。案外、東芝や日立にはいたかもしれませんが、でも国際人材を維持する度量はいまの日本の電力系にないのでしょう。
以上はわたくしが勝手に推察した業界の様子です。でもかえすがえすも残念です。しかし、いまから国際管理下に置くというのはもう無理なのでしょう。ポツダム宣言受理のような事態が起こらない限り、ありえないし、そんなことはここまで来たらぜったい起きて欲しくないのです。でもいったい原発事故がいつ終息するのかをかんがえると、このウブな東電、と国内内向きの原子力系の経産省とその御用学者さんたちがなんとかしてくれるのか、ほんとうに心配です。
実はこんなはなしは決して人ごとではなくて、生命科学系は大丈夫そうに見えるかもしれませんが、そうでもないのではないでしょうか。ただ、原発のような巨大な危険性をはらむものは持ってませんから、国際一級能力がまったくなくても国民の生命に甚大な影響を及ぼすようなことはおきないとおもうのです。あまり自慢できることではありませんね。