雑草取りの無念無想

暑い!
といっても涼しくならないので、言わないほうがいいのでしょうが、でもほんと日中の雑草取りはこたえます。
でも無心になれるので気持ちのいい時間です。
座禅をやるほど無欲を求める気持ちももてないので、時間を無為に使わず有益なことをしながら無心になれる。
雑草取りはそういうものかな。
このものすごい植物の生命ですが、刈っても刈ってもどこかに種とか根っこは残ってるでしょうから、殺生をしているのでもないでしょう。天衣無縫にのびすぎないで、おとなしくしてくださいね、そうお願いしつつ、刈ったり切ったり、抜いたりしているのです。
それはそれとして、雑草の中に希に葛のつたがあります。
この土地を購入した時には古家はほとんど全面が葛のつたでおおわれていました。
二年間くらいは油断するとその葛の蔦が出てきたものです。あんなものすごい凶暴とでもいえる繁殖というか成長する植物がああいう上品な味のお菓子などに使われるのも不思議です。
ともあれいまは、鳴りをひそめていますが、わたくしがこの世を去って、だれもこの土地の面倒を見なくなれば、5年も経たないうちに全面がまた葛でおおわれるだろう、無心でいるはずなのに、ときおりそういう無心とはとてもいえない想念が湧いてくるのも本当です。
色鮮やかなシオカラトンボとヤンマがそばを飛んでいます。
でも数はめっきり少ない。
この土地を買ったとき、水田は鎌倉時代の頃とあまりかわらん、とはMさんのお話でしたが、それほんとかどうか知りませんが、でもオニヤンマもウチワヤンマも多数飛んでいました。まだオニヤンマはたまに見ますが、ウチワヤンマはまったく見えなくなりました。平成の土地改革というのか大きな水田の区画になって生き物のすめる余った空間がほとんど無くなってきたのでしょう。
あしたから孫たちがこの比良の麓にきますが、はっきり言ってこのあたりの里山はもうかつての里山のゆたかな自然ではないのでしょう。美しい山も湖もありますが、生物の種類が激減しているのではないでしょうか。

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