京都の体質がついつい

なにかまとまったことを書きたいのですが。
盆にやってくる子供たち家族が見られる程度には生えすぎた雑草などをさっぱりするのにすっかりエネルギーをとられました、それで軽い話題しかできません。

この五山の送り火に岩手から送ってきた薪を放射能があるとかないとか、京都人がごちゃごちゃいって、相手をふりまわして、怒らせて、それでもまだ市長あたりがあきずに相手にできた不信の傷にさらにトウガラシをかけるようなことを次々やっていますので、ひと言いいたいです。

基本的に相手が希望もしないのに京都人が勝手に放射能検査をするなんて、まずおかしい。そんなものしないで黙って燃やせばいいのです。そんな当たり前のことができないのが、この送り火の主催者かとおもうと世も末(すみません、またです)です。
主催者が相手に五山で燃やさせてくれというからには、検査なんてしちゃいけません。
だいたい京都人はもともと意地が悪いのですが、その基本に相手をみくだす、というのがありますから、今回のもそのひとつのあらわれとみることができます。

ご存じのように京都は都でしてながらく日本の文化の中心だったので、ついついこんどのようなことが起きがちです。つまり五山で燃やすなどと言えば相手は喜んでありがたがるに違いない、そういう感覚です。
五山はたいへん裕福なはずで前に京都ホテルが高い建物を建てるときに、絶対反対で京都ホテルの宿泊者には銀閣寺を見物できないようにしたくらいです。金持ち、それにしてあげるという見下す視線、そのうえ東北は未開という偏見、そういうものが背景にあってのついついの本音がでてしまった、ある意味、京都は何百年も変わってないともいえるのです。

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