まずしさの美学

けさ伊丹から沖縄へもどります。乗った新快速は混んでいて京都駅でも空席がまったくできず、たちぱなしですが、でも全部で小一時間ですからたいしたことありません。ただ電車は混んでいる。

まえから書きたい書きたいと思っていた、話題ですがかなり長く書かないといけないので、やめていたのですが、こまぎれれになるとは思うのですが、この機会に書きたいのです。

理由は、例の古賀氏の本(2冊とも読みました)を読むといまや日本はOECD諸国の中でどんどん順位が下がってもう下には数カ国しかないそうです。もちろん貧困国ではないのでしょうが、もう先進国とはいえないくらい低くなって、国民の購買力からみた貧しさでは顕著な低下らしいです。これに触発されました。実際のところこのあたりの実感がわたくしには無いのですが、統計的にそうである以上間違いないのでしょう。

それで話は40年前に戻るのですが、わたくしが京大に奉職して京都の生活を始めた頃、それ以前は米国にいましたし、また短期間東京にもいて、京都の簡素なまでの乏しさというのか、都市というよりは町のお金のなさ、まずしさという感覚の近さにビックリしたものです。
京都駅に降りてみると、当時は悪名高い京都タワーがあるだけで他には京都観光デパートという場末のような建物があって、他にはパチンコ屋があるくらいでした。京都駅舎も実に簡素なものでした。駅前には市電があり、2番に乗ると延々40分くらいのって百万遍で、そこもまたまともな建物は第一勧銀とパチンコくらいでした。
まだわたくしも30才くらいで、銀閣寺近辺のどこかの飲み屋で先輩の諸兄とおしゃべりをしたときに、この京都の素晴らしい過去の遺産にくらべ、現代京都は極端に貧しい、とついついいったら、偉く叱られました。
やなぎだ、おまえはなんも分かってない、京都はこれがいいんだ、京都が東京や大阪みたいになったらおしまいだよ。おまえはほんとに駄目なヤツや、とさんざんでした。よく見ろ、まずしいというけれど、他のどんな町にもない、すごいものがあるんや、まあこういう調子でした。
確かにそういう面もあるのは分かりましたし、京大人になるにはそういうことは言わないということで以降は思っても口には出さないという、常識をひとつ持てるようになりました。
当時の京都は薄給で、給料をもらうのなら大阪にいかなくては、と聞いたものです。
しばらくして石油ショックもあり、わたくしの給与も徐々にあがり、京都での俸給生活者としては最低クラスではなくなって、この京都のまずしさの、居心地の良さをだんだん味わえるようになりました。貧しいからいいとは決して言いませんが、購買力といいますが、京都に住めば京都でしか買えないものがあるので、他のことは消えてゆくのですね。ただ、結婚子供三人という事態になってから、京都の教育の購買は恐ろしく高価ということが分かって、教育では庶民が暮らしやすい、滋賀県に移ったわけです。いまの京都は40年前からは想像も出来ないほど、豊かに見える町です。わたくしが来たときには蜷川さんという共産党支持の知事さんがいて当時の自民党はお金をださずに兵糧攻めをしていたのでした。おかげというか、京都の道路は全国一お金が出ない(といわれていて)、市内のどこにも高速道路がありません。

それで40年後の現代ですが、このあいだ沖縄の官庁系の要職のひとと話す機会がありました。
わたくしが沖縄はもっと地場産業をもとうとしないと、全国最下位にある県民所得からの脱出は困難ではと、話をふり向けると、いやいやどんなに低かろうと、東京なんかの生活よりずっといい生活が沖縄ではできるんです、といわれました。本当にそうなのでしょうかという疑問の前に、40年前の京都での記憶が戻りました。
そうなのです、全国で自県というか自分が育った町でとどまりたいというパーセントは沖縄がトップ、二位が京都というのを見たことがあります。
(続けます)

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