那覇便すごく混んでいました。一席も空いてないという感じでした。仕事ももちろん溜まってますから次から次に対応がありますが、でも楽しいです。充実して。
ただ家にいったら冷蔵庫にアリが沢山いてかなり疲れました。なぜか玄関にも大きなアリの死骸のかたまりがあって。アリ以外ににはこれといった異常はないのでまあ安心でした。
さて今日、二度目の投稿、続きです。
沖縄の若者と話すると、本土にいくのは機会を求めてではないことがはっきりします。食いつめていく、どうしょうもないから行く、行きたくないけれども他に職も無いし、しかたない、こう言うことです。
京都の若者だってにたりよったりです。東、北、西の山々に囲まれてできたら一生京都で過ごしたい、こんな感じです。もちろんわたくしには異常としかいいようが無いのですが、事実この中でですからしかたありません。沖縄と京都の若者はそれほどまでに外に出るのを忌避してでもかれらにはこれが正常です。なぜ外に出ないか、理由はたいして深い理由はありません。今住んでいるところが好きなのです。ですから、まずしさなぞ関係ないのです。そういういう意味では、40年前の先輩諸兄も今年の沖縄の要職の人も間違っていません。
まずしさと、住みやすさはあまり関係がないのです。
日本中でいちばん平均所得が低くても一番住みやすいとおもう人たち、年寄りも若者たちも居るのです。
それで今の日本ですが、バブルの頃と較べて、今の日本住みにくいのでしょうか。
わたくしには分かりません。一時、日本人の住む場所は、ウサギ小屋ということばが大マスコミに氾濫していました。
つまり日本人は収入が増えてもなーあんだ、ウサギ小屋のような小さなアパートや家にすんでいるのではないか、こういう批判があって、大マスコミがあたかも大喜びでしばしば引用したものでした。
本当のところ家の貧しさは決して広さなどではありません。
わたくしはこの間のボストンの講演で鴨長明の方丈の家を説明して宣伝しましたかなり受けていたようです。アメリカ人だって、説明をすれば、方丈の家に宇宙を見ることが出来るのです。
いわんや、カロリー制限を話題に、方丈の家のような環境を説明すれば、家の貧しはは実は豊穣のシンボルではないかと思いだすことも可能なのです。
京都銀閣寺近辺の飲み屋、10人も入ったら満杯の店で、感動のあまりこんな素晴らしい店に生涯はいったことがない、と告白した米国人、巨大なパブスペースになんの未練があるでしょう。
わたくしは彼に、ここのママはうちの院生とほぼ同じようなライフスタイルと収入であることを説明するのに時間がかかりました。でも彼も分かったときに本当に理解して感動したようです。
つまりまずしさのみが生みだしうる空間の理解が出来たのでしょう。その後、せまいせまいわずか5,6人しか座れない空間がどれほど貴重なものであるかわたくしも彼等もわかったのでした。
これらは1990年代から2000年までの話です。いまはどうなのでしょう。知りません。同じであってほしいのですが。