わたくしは非常に初期の分子生物学を継承する古典的な分野の出身なので、21世紀的な脳科学というのはどうも苦手でして、あまり勉強しようという意欲は 長年ありませんでした。しかし、定年後に沖縄でやっている学問のせいか、脳科学が身近になってきました。脳細胞というのは分裂しないし、ブドウ糖を重要な栄養源とするとか、なんか共通な話題でたくさんのことが理解出来るのです
さらに驚いたことに、ある国際会議でわたくし研究発表したら、その後で、ごりごりの脳科学の研究者からすごくおもしろい、なんか研究面で深いつながりがあるような気がするなんて言われてすっかり嬉しくなったことがありました。別にだからというわけではまったくないのですが、脳科学のトレンドな話題というのが結構最近はよく分かるというか、親近感を持てるようになりました。
食欲なんて昔は俗的なこと以外に関心がなかったのが、いまでは案外プロフェッショナルな興味が持ててしまうのです
そういう風に思うものも実はエピジェネティックな研究の発展が関係あるに違いありません。栄養なんて長いこと馬鹿にされていました(わたくしもその馬鹿にした一人ですが)が、実は後天的な遺伝現象の多くは実は栄養で決まっているのではないか、また後天的な性質の相当多くは脳の問題ではないのか、と思えて来ます。痩せたり太ったり、勉強好きとか芸術好きとかそういうのは、後天的な脳のエピジェネティックな変化を原因としているのではないか、そういう感じを持つようになりました。
お母さんが妊娠中にあまりに体型を気にしてすこししか食べものを食べないと、うまれた子供は栄養はいつも十分でない状態に適応するように生まれて来るというたぐいの生得的な獲得形質をエピジェネティックな性質と言います。遺伝子発現がかなり生まれつき的に規定されてしまうのです。
わたくしのエピジェネティックスの性質を知りたいものです。わたくしは昭和16年生まれなので、その時はまだ戦争は始まっていませんが、決して平和そのものという時代ではなかったでしょう。でも栄養失調になるほどの国難にはなってなかったはずです。わたくしの父は海軍にいってましたので、戦艦長門に乗っていましたので、出征してからは、母と姉のみがいる状態でした。2才くらいの頃に横須賀に慰問に言ったこともあります。赤ちゃんの頃はお手伝いのお姉さん(18才くらいのお手伝いさん)のえみちゃんに育てられました。わたくしは、前にもこのブログで触れましたが、憤怒性痙攣という症状があったようです。この憤怒痙攣がわたくしの脳にエピジェネティックな効果を与えたのではないかと推測しています。
憤怒痙攣というのは、激しく泣いた後に、痙攣して気絶したような状態になります。えみちゃんの述懐ではわたくしはかなり頻度高くこの憤怒痙攣になったようでした。しかし、どの程度の具体的な頻度かは分かりません。母が働いているあいだはえみちゃんがわたくしの面倒を見ていたのですから。
わたくしが思うにこの気絶状態の時には血流も低下して栄養失調状態になって脳が短時間栄養欠乏になっていたかもしれません。それで脳細胞の遺伝子発現のサイレンシングがしやすいというかかなり広汎におきやすかったかもしれません。
ま、どうでもいい話ですが、でも自分の脳遺伝子のヘテロクロマチン状態を知りたいものだなんておもうのです。