ラジウム、ウランからの連想

きょうのスケジュールはかなりタイトで夜は町に出かけるツアーがあるのでみなさんそれに参加するのでわたくしも。こちらの夜11時は日本は12時ですから。そういうわけで、今のうちに書いておきます。でもさっき書いたばかりという感もあるのですが。
今回の講演、60分も頂いたのに、準備していた最後がしゃべれなかったのでした。案外よかったかもしれないのですが、でも自分のしゃべるスピードが確実に遅くなっていることを認識しないといけません。老化の一つでしょう。ただ、あとのみなさんとの飲み会でたくさんほめてもらったので、遅いのも良いかなと思いました。もちろんお世辞もあるでしょうが、ただ分からない話はだれも賞めませんし。食べるのと同じで、話題量を8分くらいにするのがいいのでしょうか。

世田谷での放射能事件は、なんと近くの家にあったラジウムが原因とか。
おもわず笑ってしまいました。笑っちゃいけないのでしょうが、でも誰もまわりにもいなかったでしたし。
ラジウムは夜光塗料とか、時計の文字に塗ったりとか、いろいろ昔は工業的に使われていて、ある時期から禁止になっていたのを、所有者が横着して放棄しなかった、可能性があります。捨てるのに相当な書類を書いたはずですから。あくまで可能性ですが。
それで思いだすのは、ウラン塩です。
大学には相当なウランがありました。わたくしの研究室では電子顕微鏡の染色剤に酢酸ウラン塩の飽和溶液を少量いつも使っていました。普通のウランですから、放射性物質という扱いではなく、業者も持ってきて、机の上にポンとおいていくというようなもので。10グラム単位や25グラムの瓶に入っていたものです。実際にはガイガーカウンターで測ればポツポツ音はしますが、危険という認識はまったくなく、後に欧州に行った時に、オランダからの研究者がスイスのいい加減な扱い(日本と同じ)を気にしていたのを思いだします。しかし、日本では、工学部を中心にすごい量のウラン塩を使っていたのでして、ラボ内のを全部かき集めたらトンのオーダーはあるのではないか、という噂も聞いたことがありました。生化学でも㎏の単位で使った時代がありました。変性剤に使ったのです。それがゲリラとかテロがうるさくなった頃から、たぶん15年とかそれくらい前に、大学でも厳格になり、すべてのウラン塩を放棄しなさいという通達がありました。
わたくしはもう電子顕微鏡をやる気もなかったので、ラボのメンバーにすべて提出するように言ったものです。それでも後になって、ラボの隅に小さな瓶が残っていたりして、困惑しながら提出した記憶がおります。しかし、なかにはあれほど鮮明な画像をあたえるのはウラン塩しかないので、グラム単位で秘匿していた人がいてもなんら驚くことはないでしょう。同様に工学部でも桁が違う量が秘匿されていたようです。それが、定年などでラボを去ると残ったものをちゃんと知っている人がいなくて、身元不明のものとして残存する可能性があるのです。冷凍庫のなかにいつ作ったのわからない料理物が大切にサランラップで来るんであったり、タッパーウエアに入っていたり、どうしたもんだろうという、ああいう状態に似ているのです。家庭ならまだしも、ラボの出入りは意外に多いですから、大学はわけのわからない鉱山か、ゴミの山積所と考えるといいでしょう。放射線カウンターで徹底的に回ってみると色んなものが見つかるかもしれません。

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