生涯の日々、家族と過ごす幸せな時間

きょうは文化の日、皇居にまいって勲章を拝受する日です。
わたくしにとっての生涯の日であることは間違いありません。
5人のうちの一人、赤崎先生とは不思議な縁です。最初が東レ科学賞でした、次いで朝日賞でご一緒し、今回で三度目です。たいへんお元気そうで奥様もご一緒でこれだけでも親しみ深い一日でした。
わたくしとは同じ、巳年です。12才上ですから、兄貴分とは言えませんが、でもこういう素晴らしい業績をあげた方とご一緒できるのは嬉しいです。
ホテルは帝国ホテルにしました。こういうハレの日にはピッタリのホテルなのでしょう。
車は京都のMKをお願いしました。やはり京都に長年いましたから、京都のをお願いするのが筋だろうと。
朝、皇居に参内し、まず宮内庁のかたから親授のしかたのリハーサルを受けました。普通のお辞儀はできるとして、最敬礼はいかにするか、ネットで調べました。野田首相はG20で不在とかで、官房長官がおいでになりました。
親授式と拝謁の式で陛下より勲章をいただき、勲記を官房長官から頂くわけです。
わたくしは361番目の受章者のようです。
第一回目は1937年で、長岡半太郎、本多光太郎、木村栄、佐佐木信綱、幸田露伴、岡田三郎助、竹内栖鳳、藤島武二、横山大観です。その後2年間受章者はなく、1940年は高木貞治、西田幾多郎、川合玉堂、佐々木隆興でした。次は戦時下の1943年で伊東忠太、鈴木梅太郎、朝比奈泰彦、湯川秀樹、徳富蘇峰、三宅雪嶺、和田英作でした。1944年は、田中館愛橘、岡部金治郎、志賀潔、稲田龍吉、狩野直喜、高楠順次郎でした。

拝謁のあと記念写真がありそのあと記者会見がありました。
昼には終わり、あした午後には再び、皇居にでかけ、天皇陛下、皇后陛下のお招きの宴があります。

わたくしには生涯まったくの無縁であろうはずの出来事でしたが、それが原因か、なにも心の動揺もなくほぼ平常心で一日を過ごすことができました。
ただ、親授の時に、陛下と極めて間近に立つことになり、お顔をおそばで見ることとなり、なにか心に強くこみ上げてくるものがありました。陛下には、一人の日本国民として、高齢でもあるにもかかわらず、心労の続く天皇としての日々をおくることを申し訳ないと思いました。またいつまでも健康であってほしいと願うばかりです。

ホテルに戻ると、子供達家族がホテルに来ていました。午後は家族水入らずですごし、夜にはホテル内のレストランで非常に楽しい時間を過ごしました。1才、2才と、7才がふたり、4人の孫も一緒の時を過ごしました。
わたくしは精神的には風来坊的キャラが強いのですが、こうして子供達とかれらの配偶者、そして孫たちと共に幸福な時間を過ごせて、その主たる貢献者は自分の妻にあることをまたまた自覚する次第です。
今回は記者会見で筆頭に妻の貢献を、最後にラボで育った多数の若者たちの研究面での貢献をあげました。フラフラとさまようのが好きな自分が義務感と責任感をもってこの40年間を過ごせたのも、そのような最近よくいわれる風来坊をつなぎとめる[きずな」のせいなのであることは間違いありません。

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