受章のお祝いの会

わたくし大学院生の頃、ノンポリ左翼だったこともあり、戦後勲章制度が復活したときに、勲章などもらいたい人の気がしれない、などど広言していました。その当時のわたくしを知っている人たちの中にははたぶん柳田しょうがない奴だ平気で意見を変えて、と思っている人もいるかもしれません。しれませんでなく、いるに違いありません。
弁解はしませんが、以下の話しも聞いてください。実は、この文化勲章の内々の通知が担当の方からあったときに、柳田さまどういたしますかという趣旨の質問がありました。わたくし条件反射的に、大変光栄です、喜んで、と答えました。そうしましたら、声を大きくして、おめでとうございました、と言われました。なるほどそうなのか。
辞退された大江健三郎氏のことなども知っていましたが、そういう選択肢は頭のどこにもありませんでした。わたくし天皇制好きというか支持者だし、また陛下のおそばにいけるのは大変光栄な、学術研究者として大変名誉という風に思いました。
ただやはりすこし分かってないことがあったことが分かりました。
わたくし京大理学研究科の生物物理というところに30年近くいてから、別の研究科の生命科学に移ったのですが、生物物理の時にいつもいつもお世話になっていた、岡田節人先生が文化勲章を受章されたときに、わたくしが出席できるようお祝いの会があるに違いないと思っていましたが、ごく内輪での会だけしかないと、人づてにきいてガッカリした記憶があります。わたくしは先生の学生でもなかったし、スタッフでもありませんでしたから。
今回それが分かりました。やはり内輪でやるべきなのだ、と。やはり内々の、家族や仕事仲間、親族やごく近い友人達、それに近隣の人たちと、喜びを分かち合えればいいのだと言うことがわたくし的に納得しました。なぜか、やっぱりこれは勲章なのだと。頂いた勲章や勲記を見せても、一緒に喜んでくれる範囲にとどめるべきなのだと思いました。文化勲章は別、と思っていましたが、やっぱりこれも勲章、インパクトが大きいのですね。
控えめに見せびらかすことの無いように、ということが分かりました。

前置きが長くなりましたが、きょうは沖縄での現在の研究室での若い人たちがお祝いの会をしてくれました。勲章と勲記を持参して皆さんに見せました。みなさん喜んで見てくれました。
とても気持ちのはれやかになれる、すばらしい会でした。会を主催してくれた、島貫さん夫妻に感謝です。沖縄の研究室もいまや8年となり、人の出入りは案外ありましたが、なにしろ女性が多く感じます。かつて京大理の時は研究室の忘年会が30人近くほとんど男ということもありましたが、今沖縄の研究室は半々くらい女性がいます。女性パワーでこれからもいい仕事をしたい、と思いました。
これで、受章の日の夜にあった子供達家族とのお祝いの会、そして家族の次ぎに長年つきあってきた高校時代の友人達と、これでお祝いの会も三度目となりました。
やはりこういうお祝いの会はわたくしの体内に明日へのエネルギーの生まれてくる、嬉しさがあります。そして長年の妻の功績の偉大さをただただ感ずるというか再確認する機会ともなっています。

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