宇都宮市での親族によるお祝いの会

きょうはこれから宇都宮市まででかけて親戚の方々とあいます。お祝いの会をしていただきます。ありがたいことです。おばといとこ達の家族が大部分です。それにわたくしの家族、姉と妹の家族たち、こういう人々の集まりです。参加者の多くは栃木県在住です。
始まる前に栃木放送のインタビューを受けることになっています。

わたくしの両親は栃木県のかつては南那須村とよんだ地域で生まれ育ちました。わたくしも終戦の年に疎開にいって1年くらいでしょうか、しばらく父の実家にいました。いまは、烏山市ということです。
母の実家は商家でして、なんでも売っていました。烏山線の大金という駅からしばらく歩いた田野倉というところに店があり、そこから坂を登ったところに住居用の家がありました。店の方には叔父家族が住んでいました。
わたくしの父はこの大金駅から子供の足で小一時間歩いた福岡というところで生まれて、育ったのです。父と母は年がいくつか違いますが、でも小学校では同じ時期に通ったことがあると聞きました。もちろん見合い結婚です。父の実家は米を主体としたれっきとした農家で、大きな家屋に住んでいました。グーグルの地図で見つけました。街道から坂を登って、長屋門があって、奥に家があって、そのまた奥に山がありました。いまは裏山は牧草を作っているようです。何年か前に、いまは従兄弟家族が住む家に訪問した時の家とか、お墓の位置とか、牛小屋とか、山とか、記憶と地図が合致します。田野倉のほうは当時でも家がかなりあったのですが、住居の家をピンポイントできません。安楽寺のそばでしたが。
わたくしが生まれた当時は両親だけが東京におり、祖父母、おじおばたちはみな栃木県にすんでいましたから、ヘビーに栃木県一族なのでしょうか。ただ母方の祖母は茨城の出身です。今回の出席者リストをみますと、宇都宮市の在住者も多いです。県北部の大田原市にも従兄弟おります。日立市もいます。また東京在住者が増えているのはやはりいとこ達やその家族が首都圏に住んでいるのです。

わたくし、こういうことずらずら書きましたが、栃木県は広いので西と東でずいぶん違うことは知っています。でも、この烏山市や宇都宮市あたりの地域の文化、歴史、人々について住んだことがないので、格別な意見を持っていません。なにか意見を持ちたいと思っています。
ただ、親族が沢山いますし、両親も出身ですから、このあたりの出身の人びとのタイプはよく知っているつもりです。しゃべりかたを聞き表情を見ると、よく分かります。
だいたいわたくしも栃木県人のようなものといわれてもいいですし、その人たちの気質があるに違いありません。

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