自信と不安のサイクル

わたくしはもう長いこと日本人の新規大学院生を受け入れていません、というか受け入れる資格がなかったのですが、いまひとり外国人の大学院生の指導をしています。
ただ表向きはしていないことになっています。実質的にしているということです。
かなり研究経験のある学生だし、また異なった国での体験もあるのでおとなだし、非常にやりやすいのです。それでも、やはり学生、つまり博士の学位を取得したい若者だし、指導の勘どころはあまりかわらないと言えます。
つまり、理由の無い自信をもちすぎていたら、それは根拠がない、ということを教えてあげる必要があります。逆に理由無く自信がなければ、ちゃんと理由のある自信を持ってもらうべく、わたくしなりに努力します。
結局は自分に対する信頼みたいなものを、きちんと持てるようになると、博士の学位は近くに来ているのです。
その自分に対する自信ですが、やはりあがったり、下がったりを最低三回くらいは繰りかえして欲しいのです。つまり自信を持ったり、失ったり、のサイクルを三回くらいは経験して欲しいのです。
もっと繰りかえしてもなんら問題ありません。自信の失いぱなしはホントに困りますが、でもまあ1年くらいならしかたないこともあります。2年は長いけれども、ぎりぎりまあいいかな、です。でも3年も自信を失いぱなしではちょっとつける薬がなくなります。院生時代はちょっと暗いくらいでちょうど良いので、自信のありなしのサイクルもどちらかと言えば無い方にバランスがいってもしかたないと思っています。
それじゃ、どう自信をつけるかですが、ある日突然に自信がつく人もいるのですが、多くの場合は薄皮がはがれるように不安が消えていくのでいいでしょうね。
自転車に乗ったり泳いだりするのと同じで、研究者としての自信はそういう風にいっぺん身につけばそのレベルなら一生持つのです。
ただ、自信のランクを上げようとするとまた別の努力が必要なのです。
ですから、自信と不安は、まさに努力という持ち上げる力によってぐるぐる回る、スパイラルになっているのです。ずっと上昇スパイラルでいければいいのですが。そうはいきません。
最近は研究費とか論文のアクセプタンスとか、人を使うとか、そういう科学の行為とは違うところでの苦労が増えてきています。このレベルでつぶれてしまう、研究者が多いように見えるのは残念です。特にもう中年とか熟年近くになって破綻してしまうのは残念です。

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