嫉妬と羨望、わたくしはどうもこの区別が分からない、というはなしです。
七つの大罪というのがありますね、あの中に嫉妬がはいっていますね。しかし、その嫉妬の英語はenvyなのですね。envyは日本語では訳は羨望、つまり羨ましいですね。
嫉妬には激しさでは、羨望よりつよいですね。嫉妬には憎む、つまり自分の欲しいものを持っている事からくる憎らしいという感がありますね。羨望、うらやましい、には憎む感がありませんね、ですから、嫉妬はいかん、しかし羨望の感情はいいんじゃないか、とも聞いたことがあります。
嫉妬や羨望が七つの大罪というのがキリスト教かとおもうと、厳しいな、と思わざるを得ません。
他の6つを見ると、傲慢、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲とあります。中世の時代の倫理観とはいえ、傲慢の訳がprideと聞くと、そりゃ困るという人が多いでしょう。
それで、元に戻って、嫉妬と羨望ですが、すばらしいハンサムか美人がいて、同じ年齢の男女が、羨望を感じるか嫉妬を感じるか、まあどっちでも良いと思うのですが、七つの大罪と言われると緊張してしまいます。
若い頃に、すばらしい研究だと褒めそやす皆がほめるのに、わたくしが憮然としていると、柳田君そう嫉妬するなよ、と言われたことがあります。それで憤然としたものです。嫉妬なんてぜんぜんしてない、単にたいした仕事とはおもえないし、外国のえらいさんのところでやった仕事で、本人が得意にしゃべれしゃべるほど、わたくしはしらけたのですが、その表情を嫉妬とえらいボスに言われて、若かったこともあり、やり場のない怒りみたいなものを感じた事があります。
かすかにそんなに賞められるのなら、と羨ましい気持ちはあったかもしれませんが、でもそれも真のうらやましさではなかったでしょう。考えてみると、わたくしは若い頃から、研究面で嫉妬とか羨望とかほとんど感じたことがないような記憶があります。ただ負けず嫌いなので、たいしたことないと思いがちだったことも正直あったでしょう。だいたい、自分のやった仕事は面白くてたまらない、人のやった仕事はあまり面白いと思わないという傾向の人物なのです、わたくしは。でも他人の仕事への批判は大抵正しい(正しかった)のです。ただ、その批判が同じ鋭さでは自分には向かわないのです。でもそれが人間だよ、というのがわたくしの人間観です。
それで、最初に戻れば、嫉妬と羨望、わたくし個人の感情としては、羨望はどんなにもってもなんの問題がない。お金持ち、羨ましい、女性にやたらにもてる、羨ましい、外国語がぺらぺらにしゃべれる、羨ましい、でも嫉妬の感情とは無縁でしょう。
そんなわけですが、辞書を見ると羨望と嫉妬は非常に近い所にあるらしいのです。
それでよく分からん、こう言うことです。