学問というのは継承なんですよ、といっても若い人は分かったような分からなかったような、表情をたいていします。しかたないですね。日本の学問はまだ歴史が浅い。
明治以来ずいぶん時間が経っているとはいえ、たいした古さではありません。磁石の単位にデバイがありますが、わたくしのお師匠さんの元を三代辿るともうデバイさんになってしまうんですね。わたくしの学生時代の先生は生物物理学の野田春彦先生ですが、先生の先生である水島三一郎先生の先生はデバイ先生こうなります。スイスでの先生は物理学のケレンバーガー先生で、もうひとりのお師匠さんはクルグ先生ですが、かれはれっきとした物理学者ですから、わたくしの先生たちはみな物性系の物理学になっています。学部卒研時の先生は江上不二夫先生だったので、生化学は江上研で学んだものです。遺伝学は自己流に学んだといわざるをえないのかもしれません。でも、スイス時代のエップスタインさんや京大でながらく一緒だった丹羽修身さんがまあ遺伝学のわたくしのお師匠さんです。
こういうかたちで学問の継承を語るのは不可能ですが、でもこれを知っておくとわたくしの学問というか研究の癖は分かるはずです。クルグ先生のお師匠さんはフランシス・クリックとロザリンド・フランクリンですから、わたくしも考えてみるとご先祖さんをたどると、学問の本流のえらいかた達がきら星のようにおるのでした。
でもそんなことを言いたくて、きょうは書き出したのではまったくないのですが、これでもうだいぶ書いてしまいました。
それで、きょう書きたかったのは後日でにまわすことにして、これらの中で誰が一番わたくしに影響を及ぼしたのでしょうか。
影響には色んなものがありますね。こういう人になりたい、ちょっとでも近い人になりたい、そういう影響ですね。
もう一つは、まったく違った方向でして、このえらい人には自分は能力的に絶対なれない、だからこういう方向には自分の将来設計は絶対たてない。そういうかたちですごい影響を与えたかたが一人います。ありがたいことでした。未練無くそういう分野に行きませんでした。
考えてみると、大学の2年の頃でしたか、ある難しい物理の教科書本を10人くらいで輪読した事があります。その10人の中にいたK君の物理というか、物理数学の能力に驚嘆したものでした。
それでわたくしの中にかすかに残っていた、物理と生物学の融合した分野で働きたいという願望が完全に消失した記憶があります。K君に感謝です。
若いときに一流の場所で学びなさい、ということの一つの意義は人生の選択に消去法がしっかり入ってくることです。
こういう人がもういるのなら、自分がその分野にわざわざいくこともなかろう、こういう選択肢は結構大きい要因です。学問の世界で人材がうまい具合に散らばるのもそういうことが原因でしょう。