継承されるのは結局

若いときは、おれがわたくしがとおもいがちですが、年をとると自分のやったこともそこそこだけれども、でもたいしたことない、威張るほどのこともない、まともな老人ならそうおもうはずです。まあ、わたくしもその一人です。
ただ、年をとると、学問というのは、自分が思う以上に継承だな、と思わざるをえないのです。
継承というのは先祖がいて、自分がいて、自分の継承者がいる、そういうことです。
どの先祖が一番えらいとか、そういう話題になりがちですが、そうじゃなくて、続いていることに意義があるのですね。それで、結局何が分かってきたのか、それで今後どうなるのか、他の分野との関係は?です。学問には発展をどんどんするのもあればさっぱりしない分野もありますね。どんづまりみたいな分野もあるし、ただただひたすら進歩につぐ進歩をしている分野もある。
どれもこれも特徴がある歴史というか、知的獲得の歴史を作っているのですね。
人間臭い面もありますが、それを全部捨ててしまって、無名性つまり誰が何をやったかわすれて、何が分かったかを時とともに並べていけば、学問は継承なんだということがひしひしと分かってくるのです。
それで今の日本の研究、ちょっと病的な研究者が増えていますね。日本だけではないのかな。
この無名性の学問の系譜のちょうど反対みたいなもの一色に染まっている分野が最近多いですね。詳しく書くと気分が悪くなるので、書きませんが。

しかし、ニュートンとかダーウインとか有名性の学問があるようですが、二百年に一人とかそういうタイムスパンなら一人くらいは名前を憶えてもいいじゃないですか。
日本でも盗人なら石川五右衛門とか相撲取りなら雷電で次が双葉山とか、それくらいの頻度なら名前を憶えますね。あとはまあ続くことに意義があるのですね。結局は。

学問はほっておいても、伸びるところは伸びますが、伸びないところは100年くらい何も進まずに停まっています。でもある時急に進むはずです。進むきっかけは学問がどんなに細々でも継承されているからです。日本語の文献をネットで保存していくのは非常に意義があると思うのです。
そういえば京大の動物でハエを暗黒で飼っていけばどんどん代がかわるにつれ、暗黒でも目の見える子孫というか変異体が生まれるんじゃないかという、テーマをやっていた先生がいましたが、あれ今も誰か継承しているのでしょうか。

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