土地はもう地方の時代

自慢するつもりでなく、わたくしは土地持ちです。でも、大都市に住むひとは間違いなく自慢かいやみに聞こえるでしょう。でも、そこで躊躇しないでさらに続けていえば、首都圏のひとが想像すらできないほどの広大な面積の土地持ちです。
でも、わたくしが沖縄に住民票を移すまで平素住んでいた家は猫の額ほどの土地です。この家に投資したお金は相当なものです。しかし、売りにだせばその4分の1かそれ以下の値段でしか売れないでしょう。でも何の不満もありません。住んでるのですから。
セカンドハウスのこの家と土地は、JR西日本の看板通勤電車、新快速が止まる駅から徒歩10分もないのですから、かなり便利な場所に聞こえるでしょう。実際京都駅から電車にのれば30分程度で駅に着いてしまいます。大阪でも60分です。でも、土地の値段は安いのです。わたくしが生きているうちに高くなることはあり得ないでしょう。むしろ下落するかもしれません。利殖としての価値はゼロと思っています。少子化ですし、関西は首都圏みたいに流動性はないし、それにどこにいっても都市の中心以外は、土地は沢山あるのです。
何を言いたいかというと、宅地の広いのをもつのはつまらないですね。建坪率の全部を家に使うのでなければ。でも広い土地をもつのは、非常に精神的にいいものです。この精神的にいいものだというのは、土地をもって始めて分かるのです。たぶん非常にいやみに聞こえるでしょうか。でもこのあいだ購入したこれまでの土地に隣接した千坪ほどの土地など、東京ではどんな小さなマンションも買えない値段なんです。雑種地だし、家は建てられませんが、隣接地ですから、それに税金も微々たるものです。そういうわけで、土地的には地方の時代はとっくに日本では始まっています。首都圏の人達がみたら、実にわずかな資金で広い土地で暮らせて、よい精神状態でいられる、そういう地域が関西ならごろごろしてるのです。ただ、広い土地だと不安でたまらない、という人は日本では多いみたいです。

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