博士の学位をとりたいと希望する若者たちとわたくしは何十年も一緒に研究をしてきたのですが、そんんなに長くやっていても、若者とのつきあいで、まるで初心者のようなエラーをしてしまう、というのがわたくしの実際の感想です。
なぜそんな失敗というのか、より良いやり方ができなかったのか、それはですね、われわれはひとりずつどれだけちがうか、という理解が十分でないのです。そんなもの当たり前でしょうといわれそうですが、でも芸術などと異なって、人には個性があっても学問にはやはりやるうえでの規範があるので、その基本にそってやれば結局若い人達に対して、似たような教育でおおむねいいのではないかとおもいますね。でも歴然として異なった個性をもっているのが分かるような若者に対しては、それなりにやり方を変えていきます。
非常に大ざっぱには上で述べたような原則をもちつつ若い人への研究の意欲を高めるべくつきあって来たつもりですが、でもやはりエラーとしかいいようがない、教育というかトレーニングというかそういうものをしてしまったかもしれないと、おもうことがありました。
いったいどういうことか、それは結局若者のこころの奥底が分かってなかったということかもしれません。そこまで入りこんで教育というのは、大学院生という立派な大人の年齢の若者たちに必要は無いのではないか、という意見もあるでしょう。わたくしも、そう思います。でも、そこまで入りこんでまでやれば、失敗はより軽減化されたかもしれない、とも思うのです。
それじゃこころの奥底というのはいったい何だったのか、というとそこが難しいのですが、こころの基盤である感情の元にあるところかもしれません。そこのところまで[教育]が届かないと、若者にとって研究の楽しさとかやりがいとか充実感が生まれない、そして劣等感にさいなまされがちの魂を救うことができない、こういう感じです。
とうとうたましいという言葉がでたか、ということですが、そうなんですね。困ったことですが、そういうことです。わたくしは若者のたましいには立ち入らないということで、何十年もの教育をやって来たので、そこのあたりがですね、本音のところで困ってしまうのです。
世界的にみてもそこまでたちいる教育は行き過ぎと言われ、思われるにちがいありません。でもそこまでいってしまう教育があることも事実です。差し障りがあるので詳しいことは書けませんが、日本でやれば、たぶん非難されるような気がします。
それで、じゃもっと穏当にこころの底まで関わっていく教育方法はあるのか、あるような気がします。でも正直わかりません。ただ、わたくしには失敗体験があるので、そのような失敗を繰りかえさずにうまくいくための何かを見つける資格はあるかもしれません。
