まだ休暇をとっています。とはいえメールは容赦なくきますので、開けないわけにはいきません。
メールをみればもちろん考えてしまうし、英国からくるメールはあんたは締め切りをもう2日も過ぎていると、なんの義務も感じないわたくしにそういいます。
それはそれとして、昨夜のなでしこの一戦、面白かった。これほどおもしろい試合を見せるナショナルチームがあることに感謝。選手のだれとは言いませんが、みな非常に親しみ深いキャラクターであることに気がつきます。沢選手がいなくてもこれだけのゲームができ、かつスリル満点の試合を見せてもらえることありがたいです。
首相公選をスローガンとする政党が出てきそうなので、天皇は元首か、という問いに自分の頭でかんがえてみます。
天皇は現行憲法上、実質元首であるという考え方とそうではない、日本にはいわゆる元首はいないという考え方があると聞いたことがあります。わたくしはそういう理屈にあまり興味はありませんが、日本が君主国家なのか民主国家なのかという問いには興味があります。
その点で言うと、日本は君主国家と民主国家の境界に曖昧に存在していると思っています。日本人は元首は誰かときかれたら、天皇と断言するするひとはそれほどいないでしょう。しかし、首相を元首という人はごくごく少ないでしょう。
わたくしはひと言で言って、今の日本人は国家観をもつにあたって、いまの天皇制に甘えているのだと思っています。
つまり天皇に君主の権限を与えず、しかし膨大な公務を与えているのです。天皇は日本国民としての権利もなく、象徴として多数の国事行為を行いますが、常に内閣の助言というもののコントロール下にあるのです。
しかし、日本という国家の繁栄と安寧を祭祀というかたちで祈っているのはまさに天皇であるわけです。わずか1年や2年で退任する首相が国家について何を祈っても、それはごく短期間の行為でしかありません。
しかし天皇は生涯を通じて、日本という国家の祭祀を行い取りしきっているわけです。この祭祀は天皇制がある限り行われてきたのに、それが憲法にもどこにも記載がないと聞きます。不思議な国家の話しです。しかし、天皇が祭祀をおこなっていることは厳然たる事実で、これあるがゆえに天皇は存在し、わが国の国家の繁栄と安寧の基礎があるともうしあげて何の問題もないでしょう。日本人の大半は教わらなくてもそのことは知っています。昔から、天皇のことを天子と表現したのも、国のためにいつも祈ってくれる天子というコンセプトがあったのです。いまの新憲法下でもこのコンセプトが大きく変わったとはわたくしには思えません。
以上のように考える日本人は現今では少ないと思うのです。
それでは天皇以外にだれが日本という国家の安寧を祈っているのでしょうか。他国では、元首がそのような役割を持つというのが一般的な考えでしょう。米大統領が、演説で神という言葉をしばしばもちいるのは当然でしょう。
日本では、首相がそのような役割を担えるのでしょうか。首相公選となっても無理でしょう。首相はかつての将軍のように闘う存在だったからです。
そのような国家に対して、祈る立場を担えるのは日本では歴史的にも制度的にも天皇しかいないのだと思います。
それゆえにこそ、天皇が日本の元首であることは自明のことであるとおもえるのです。